果ての旅路 Ⅰ
長崎のホテルでツイッターを流し見していると、あるツイートが目に留まった。
暮れ方、おそらく終点なのだろう雪の残るバス車庫の写真。
バス2台がようやく入るというスケールのその車庫には明かりのついたバスが止まっていて、ヘッドライトが雪と砂利でぐしゃぐしゃの地面を照らしている…
とにかく気に入ったその写真から伝わる疎外感、空と建物の退廃的な美しさ、そしてツイートに添えられた文の「最果て」という3文字が僕を捕らえて離さなかった。
調べるとその車庫を終点とするのは下北交通、佐井線。なるほど悪くない響きだ。
旅行の最中に次の旅行の計画を立てるのは当たり前、ということで春はこの「最果て」というモノを見に行こうと決意した。
2020年1月、長崎でのことだった。
というわけで、3月24日。終業式の次の日の早朝、始発電車でとりあえずは新宿に向かう。
目的地は本州最北端、大間。その後飛行機に乗るため最北の都、札幌を目指していく。
つまりは本州をひたすら北に向かい、ついでに海峡を越えて北海道へ。とにかく北上する。北へ。
5時すぎ、最寄り駅の時点でやや白んでいた空は段々と青を薄めていく。こんな情景にはサカナクションが良く合って、始発電車から夜明けを眺める非日常を堪能した。
5時30分、新宿。
思ったより明るく、冬はもう行ってしまったことを実感させられる。
ここから埼京線、赤羽で乗り換えて宇都宮線もとい東北本線、と北への歩みを進めていく。
赤羽から宇都宮線に乗ると満開の桜が見えた。東京はまもなく春本番、といったところだろう。
…しかし自分が目指すのは東京の遥か先にある北の果て。
桜前線に全力で逆らうこの旅は始発に乗るための3時間睡眠に始まり、予想外の混雑に加えてロングシートの宇都宮行きではついに一睡もできなかった。
もっとも野木、間々田と聞き覚えのない駅名が続く中でそういえば世間は通勤ラッシュか、とようやく思い至ったのだ。
小金井で宇都宮どまりから黒磯行きに乗り換え、205系4両。小金井始発だが利用客は多く、宇都宮で乗り換えていたら着席も危なかったかもしれない。
4両編成は氏家、蒲須坂、片岡と停車していく。この辺りに来ると聞いた事のある駅名の方が少なく、那須塩原に至るまででも随分遠くに来たなあと思う。
黒磯に到着。
「宇都宮線」の愛称はここで外れてただの東北本線になる。乗り換える新白河行きは5両ながらワンマン運転。しかも車両は常磐線、これがなかなかの違和感を生んでいる。
新宿から3時間、ようやく空いたボックスシートに腰を落ち着ける。旅ってこういうこと。
知らない駅名、知らない風景。そういえば小山以北に行くのは初めてだった。
30分ほどで新白河。
乗り換え先は郡山行き、雪がチラついている。
郡山行きはこれまで乗ってきたE531系よりは上等なシートで好印象。
新白河から数駅でこの晴れよう。東北の天気は分かりづらい
この電車は晴れ間と暖房の相乗効果で異様に暖かく、数十分睡眠時間を取り返す。
10時36分、郡山着。
左が乗ってきた郡山行き、右がこれから乗る福島行き 仙台の電車はいい色をしてる
駅の規模に対して街の方はそれほどでもない様子。(後から福島出身のクラスメイトに聞いたところ福島より郡山のほうが栄えているらしい)
サイン類が古風だったり広いヤードにキハがポツンと居たり、駅前の福島交通に交じって都営バスがいたりと面白い。
11時5分の福島行きに乗車。雲行きが怪しい
殺風景な車窓、これまでに無いくらいのスピードに反して気分は曇る。
冬はもう行ってしまったなどと言ったそばから東北の寒さに震え、寝不足のせいで高揚感がない。自分はもう旅をすることに飽きてしまったのかもしれない、とさえ思った。
12時前に福島。
福島での余裕をつくるため始発に乗ったと言っても過言でないが、いざ来てみると大してやることがない。
飯坂線も阿武隈急行もやって来ないので駅前を散策
デパートの向かいには廃墟。
どうも街に元気がないようだったが、元気がなかったのは寝不足の自分のほうかもしれない
地下道を抜けて新幹線側の出口へ。古風なバス
磐梯山だろうか、連峰が見える。山が常に見える町は無条件に良い町。
福島からは奥羽本線。13時前の米沢行きは旧式の719系、旅情はあるけど乗り心地が悪い
笹木野、庭坂と市街地が続き、庭坂を出ると車窓左手に山を望む。多分磐梯山。多分
秘境駅、赤岩を通過。もう停車列車は1つもないらしいけどホームも駅名標も待合室もまだある。
列車は板谷峠に挑む。山深くなるにつれて残っている雪が多くなり、この先の駅はおそらく雪よけのシェルターがつく。この山の冬の厳しさを垣間見た
板谷、峠と停車。峠では「峠の力餅」を売るおばちゃんが居たが声がかかる様子はなかった。そもそもこの列車の後4時間列車はないのにこの人はその間何をしてるんだ
福島から1時間で米沢。
奇抜な塗装の新幹線と短い普通列車が並ぶのはなんというかシュール
珍しくここでは目的があって、米沢といえば米沢牛。
出発の直前に見つけた立ち食いそば屋で牛丼をいただく、山形県いいなあという気持ち。
米沢発山形行きは米沢まで乗ってきた編成がそのまま充てられていた。発車待ちの間に再び雪が降り始めた
Newdaysで調達した食後のなんたらと、twitterで一時期話題になっていた謎のタワーマンション。山形県いいなあという気持ち
数十分で山形、左沢線が居た。
これ4両なんですよ?長編成で乏しい交換設備による本数の少なさをカバーしているよう
ここでの乗り換え時間は少なく、しかも次の新庄行きは混んでいる。
2両編成のロングシートが埋まるほどの乗客で、これはもはやただの通勤列車
というわけで寝たり起きたりを繰り返し1時間ほどで新庄に到着。
ここで緑と赤の仙台車とはお別れ。
新庄といえば山形新幹線の終点、本当に遠くに来た
モダンな駅舎。なんかの施設と一緒になってるのは地方の主要駅ではよくあるようで、ここもその例に漏れず。
駅前に残雪あり。
今日11本目の列車は新庄発秋田行きのロングラン。これに2時間40分揺られる
泉田、羽前豊里、真室川と人気のない村をひとつひとつ経由していく。真室川で新庄の市街地は終わり列車は山間部へ
18時を回って釜淵で交換待ち、知ってる駅名がひとつも出てこない。
車窓から青以外の色が消えていく。まさにブルーモーメントといったところで森林は黒に、田畑の残雪だけが明るい色を残している
ときどき通過する民家からも明かりは見えず、気づけば青すら消えていた。
後三年で交換。かっこいい名前
秋田に20時12分、眠くて頭が回らない。
男鹿線。これらも蓄電池やらなんやらで近く淘汰されるらしい。旅情を掻き立てる列車がどんどん少なくなるのは悲しい限り
乗り換え時間15分で大館行きに乗り換え。予想以上の混雑、男鹿線撮ってたので座れなかった
21時30分発、五能線能代行き。キハ40はどの色でもカッコいい
能代行きは1駅だけの区間列車だが自分以外にも数名乗車していた。
夜汽車。エンジンの唸りだけが聞こえる
21時35分、1日目の終点能代駅に到着。
ホテルまでの道が暗い。地方都市…
2日目は五能線を巡っていく。