蒼白の駅

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2021年12月の末、留萌の寂しいビジネスホテルで、僕は焦っていた。
受験を挟んでほぼ2年ぶりの一人旅は10泊11日の長期戦で、疲れないためにかなり行程に余裕を持たせた(始発を減らしたり何もしない日を作ったり)のはかなり賢明な策だと思った…のだが。

どうも感動が薄い。求めていた雪景色は確かにここにあるし、留萌市の夜の市街はまさに遠方の地方都市という光景だった。なにが原因なのか、ほとんど分からないまま予定ではこの旅唯一の始発列車に乗るために眠る。

そして結果的に、旅には始発列車が必要であることがわかった。僕の定義する"旅情"には始発列車の独特な雰囲気と、眠気と、早朝の景色が必要だと結論づけられた。非日常によって気分は昂る。

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駅の錆び付いた柱がなんとなく寂しい。少し前まで留萌駅は終点ではなく、まだ先に線路が続いていた。

留萌本線に行くならここだけは抑えたい、と思っていた駅があった。「峠下」という駅名どおり、その駅は留萌と内陸の間に横たわる山の中に位置している。峠下から次の恵比島の区間で留萌の街と始発駅の深川を隔てる山地を越えているようだ。

一応普通列車ということになっていたが、途中でいくつかの小駅を通過した。留萌を出発してから20分走り続けて、次に止まるのは峠下。到着は6時10分。
ローカル線の駅を巡っていると当然出会う、ほかの乗客の「お前はこんなところで降りるのか」という好奇の目にももう慣れた。それどころか、今ではそんな目線すら世間から切り離されてしまったような気分になって旅の精神を盛り上げてくれる。

夜明け前、山間の駅のホームには暗闇に浮かぶ新雪だけがある。1両の列車を降りて、僕はひとり、古いスノーブーツでそのすばらしい雪を踏みしめた。

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反対方向、留萌行きの始発列車も小粒の雪を照らしながらやって来た。旅をする中で一期一会の出会いとはよく言うが、廃線・バス転換が取り沙汰される路線とあってまさにそういう思いでシャッターを切る。

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列車は完全な真っ暗闇に吸い込まれていく。
無人駅には静寂が降りる。降りるというより覆い被さるというほうが近いような、大きな静けさだった。

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留萌行きからも同世代くらいの青年が下車したようだったので待合室には留まらず、1時間後の列車まで写真を撮り続けることに決めた。夜明けの美しさは誰もが知っている。

留萌に到着する前は札幌に滞在していたが、同じ雪景色とはいえすすきのを想像するとやはり隔世の感があった。
山の中にあるこの駅は驚くほど暗い。ほとんどの音を雪が吸ってしまうので異常に静かだが、時々鈍くくぐもった音がする。自分以外の足音のような。
僕をかなり怯えさせたその音は、枝の上に積もった雪が重さのあまり地面へ振り落とされる音だった。

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峠下の駅舎と、駅に通じる唯一の道路。列車がある限り有り得ないことではあっても遭難が近いな、と思わざるを得なかった。黒く塗り潰されてまったく見えない景観と足元に積もった雪は本能的な恐怖を呼び起こす。少し周囲を歩いてみようかという安易な考えはすぐに却下された。
しかし、とても特別な事情があって早朝の峠下駅からバスに乗り換える場合、この先にあるバス停までこの道を行くことになる。二車線道路であるだけ良いほうだと思うしかない、13秒先も分からなくても写真のような光る矢印ならあるのだから。

僕にはそんな事情はないので駅のホームに戻る。
6時半を過ぎると、ようやく写真にもうっすらと青色が写りはじめた。

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夜から朝にかけての時間、ブルーモーメント、とはよく言うがこの黒が抜けてきた濃い青の時間はまさに瞬間であり、一時も逃すわけにはいかない。
山の稜線が見え始め、朝に向かってすべてが姿を現していく瞬間。すべてが絶望的に青かった。
圧倒的な深い青色に取り囲まれて写真を撮っていると、「無敵」という単語が思い浮かぶ。この色を打ち負かすことは何にもできないのだと思った。

結局待合室にいた青年は出てこなかったので、ホームを歩き回るのは自分一人だった。

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独占している、と思った。
この完璧な青を独占している。「誰も知らない青」という詞があった。雪深い山中にあるこの駅で、夜明け前のありあまる青い世界を観測しているのは自分ただ一人だった。誰に対してかもわからない優越感に浸りながら、ここに終了する夜と始まる朝を写真にしていった。

午前7時になろうとしていた。冬の朝だ。

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明るくなる前では何処まであるのか分からなかったホームはとても長く、かつての栄華を思わせる。ここにも長い急行列車が止まった時代があったかもしれない。

青の時間とどこまでも清潔な雪景色の裏にある残酷さは想像するに難くないが、まだ真っ暗な頃にやってきた除雪作業員たちを見るとそれが近くに感じられる。この駅は路線の除雪作業における拠点になっていた。

2年先の存続すら不透明な路線でも、当然今日の運転のためにこの雪たちと闘わなければならない。おそらく明るくはないこの駅の将来を案じつつ、もう二度と出会えないであろう情景を写し続けた。

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列車の時間が近づくとカメラを構えた人が増えた。2つあるホームと駅舎によっていろいろ歩き回って撮影できる上、立地も駅の名前も文句がない。留萌本線でここを選んだのは間違いではなかったなという思いを確実にし、最後にもう一度撮り回った。

夜が明ける。列車が来る。

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最後に雪は強くなった。7時12分発の深川行きに乗り込み、定刻で峠下駅を離れる。
良い駅に最高の時間に降り立って、その経過を観られたことがとても嬉しかった。これまでは漠然とした旅だったが、ようやくここでひとつ成果を残せたという気持ちだった。

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峠下駅で満足した僕は当初降りる予定だった真布駅をスルーして深川から札幌に戻り、釧路へ向かった。
長旅だったがなんとなく中弛みの気配があって旅の道中は記憶が薄い。長すぎても良くないということだ。しかし何回かとても価値ある経験ができたので、それも追って文章にしたい。