蒼白の駅

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2021年12月の末、留萌の寂しいビジネスホテルで、僕は焦っていた。
受験を挟んでほぼ2年ぶりの一人旅は10泊11日の長期戦で、疲れないためにかなり行程に余裕を持たせた(始発を減らしたり何もしない日を作ったり)のはかなり賢明な策だと思った…のだが。

どうも感動が薄い。求めていた雪景色は確かにここにあるし、留萌市の夜の市街はまさに遠方の地方都市という光景だった。なにが原因なのか、ほとんど分からないまま予定ではこの旅唯一の始発列車に乗るために眠る。

そして結果的に、旅には始発列車が必要であることがわかった。僕の定義する"旅情"には始発列車の独特な雰囲気と、眠気と、早朝の景色が必要だと結論づけられた。非日常によって気分は昂る。

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駅の錆び付いた柱がなんとなく寂しい。少し前まで留萌駅は終点ではなく、まだ先に線路が続いていた。

留萌本線に行くならここだけは抑えたい、と思っていた駅があった。「峠下」という駅名どおり、その駅は留萌と内陸の間に横たわる山の中に位置している。峠下から次の恵比島の区間で留萌の街と始発駅の深川を隔てる山地を越えているようだ。

一応普通列車ということになっていたが、途中でいくつかの小駅を通過した。留萌を出発してから20分走り続けて、次に止まるのは峠下。到着は6時10分。
ローカル線の駅を巡っていると当然出会う、ほかの乗客の「お前はこんなところで降りるのか」という好奇の目にももう慣れた。それどころか、今ではそんな目線すら世間から切り離されてしまったような気分になって旅の精神を盛り上げてくれる。

夜明け前、山間の駅のホームには暗闇に浮かぶ新雪だけがある。1両の列車を降りて、僕はひとり、古いスノーブーツでそのすばらしい雪を踏みしめた。

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反対方向、留萌行きの始発列車も小粒の雪を照らしながらやって来た。旅をする中で一期一会の出会いとはよく言うが、廃線・バス転換が取り沙汰される路線とあってまさにそういう思いでシャッターを切る。

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列車は完全な真っ暗闇に吸い込まれていく。
無人駅には静寂が降りる。降りるというより覆い被さるというほうが近いような、大きな静けさだった。

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留萌行きからも同世代くらいの青年が下車したようだったので待合室には留まらず、1時間後の列車まで写真を撮り続けることに決めた。夜明けの美しさは誰もが知っている。

留萌に到着する前は札幌に滞在していたが、同じ雪景色とはいえすすきのを想像するとやはり隔世の感があった。
山の中にあるこの駅は驚くほど暗い。ほとんどの音を雪が吸ってしまうので異常に静かだが、時々鈍くくぐもった音がする。自分以外の足音のような。
僕をかなり怯えさせたその音は、枝の上に積もった雪が重さのあまり地面へ振り落とされる音だった。

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峠下の駅舎と、駅に通じる唯一の道路。列車がある限り有り得ないことではあっても遭難が近いな、と思わざるを得なかった。黒く塗り潰されてまったく見えない景観と足元に積もった雪は本能的な恐怖を呼び起こす。少し周囲を歩いてみようかという安易な考えはすぐに却下された。
しかし、とても特別な事情があって早朝の峠下駅からバスに乗り換える場合、この先にあるバス停までこの道を行くことになる。二車線道路であるだけ良いほうだと思うしかない、13秒先も分からなくても写真のような光る矢印ならあるのだから。

僕にはそんな事情はないので駅のホームに戻る。
6時半を過ぎると、ようやく写真にもうっすらと青色が写りはじめた。

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夜から朝にかけての時間、ブルーモーメント、とはよく言うがこの黒が抜けてきた濃い青の時間はまさに瞬間であり、一時も逃すわけにはいかない。
山の稜線が見え始め、朝に向かってすべてが姿を現していく瞬間。すべてが絶望的に青かった。
圧倒的な深い青色に取り囲まれて写真を撮っていると、「無敵」という単語が思い浮かぶ。この色を打ち負かすことは何にもできないのだと思った。

結局待合室にいた青年は出てこなかったので、ホームを歩き回るのは自分一人だった。

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独占している、と思った。
この完璧な青を独占している。「誰も知らない青」という詞があった。雪深い山中にあるこの駅で、夜明け前のありあまる青い世界を観測しているのは自分ただ一人だった。誰に対してかもわからない優越感に浸りながら、ここに終了する夜と始まる朝を写真にしていった。

午前7時になろうとしていた。冬の朝だ。

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明るくなる前では何処まであるのか分からなかったホームはとても長く、かつての栄華を思わせる。ここにも長い急行列車が止まった時代があったかもしれない。

青の時間とどこまでも清潔な雪景色の裏にある残酷さは想像するに難くないが、まだ真っ暗な頃にやってきた除雪作業員たちを見るとそれが近くに感じられる。この駅は路線の除雪作業における拠点になっていた。

2年先の存続すら不透明な路線でも、当然今日の運転のためにこの雪たちと闘わなければならない。おそらく明るくはないこの駅の将来を案じつつ、もう二度と出会えないであろう情景を写し続けた。

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列車の時間が近づくとカメラを構えた人が増えた。2つあるホームと駅舎によっていろいろ歩き回って撮影できる上、立地も駅の名前も文句がない。留萌本線でここを選んだのは間違いではなかったなという思いを確実にし、最後にもう一度撮り回った。

夜が明ける。列車が来る。

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最後に雪は強くなった。7時12分発の深川行きに乗り込み、定刻で峠下駅を離れる。
良い駅に最高の時間に降り立って、その経過を観られたことがとても嬉しかった。これまでは漠然とした旅だったが、ようやくここでひとつ成果を残せたという気持ちだった。

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峠下駅で満足した僕は当初降りる予定だった真布駅をスルーして深川から札幌に戻り、釧路へ向かった。
長旅だったがなんとなく中弛みの気配があって旅の道中は記憶が薄い。長すぎても良くないということだ。しかし何回かとても価値ある経験ができたので、それも追って文章にしたい。

アザレア行き夜行船

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愛媛県松山から数十分。降り立った高浜という駅は郊外電車の終点で、なかなか風情のある佇まいだった。

しかし慌ただしく小さいバスに乗り換え、フェリーターミナルへ向かう。

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手続きを済ませ、空港のような通路を歩くと見えてくる「松山 - 小倉」のプレートを掲げた船。

その古ぼけたフェリーが、2020年1月3日の僕の宿だった。

 

2019年、大晦日の夜に夜行列車で東京を発ち、香川で初日の出を迎えた僕は人生初の四国は高松に降り立つ。三が日をことでんに揺られてうどんを啜りながら過ごし、特急しおかぜ号で松山に至った。

四国から九州へ向かうルートはいくつかあるが、僕は「松山小倉フェリー」という明快なネーミングの会社を見つけるとそれに決めた。八幡浜や別府などの航路を知ったのは3年のときで、つまり当時は夜に四国を出て朝に九州に着くのならどれでも良かったのだ。

夜に出て朝に着く、そのような列車がほとんど淘汰された今、夜行フェリーは往年の夜行急行や特急と似た性格を持っているように思える。豪華なシングルルームから廉価な二等座席、甲板から望む朝日は、かつての風情ある夜行列車に乗り遅れた学生の(少なくとも僕にとっては)希望だと今では感じる。

 

初めて乗る大型フェリーの、僕に割り当てられた区画は想像していたような大広間ではなかった。10名ほどが1グループとして船室1つを割り当てられる方式に戸惑いつつ、そして勢いで買ってしまったチョコ菓子を持て余しつつとりあえず寝床を整えた。

トイレと洗面台は大きな共用のものがあり、そこで小学生の集団を見かける。小学生のころ山やら海やらへ移動教室に行ったのを思い出す。フェリーの洗面所は、まさに移動教室の宿舎にある大きなそれに似た空気を感じさせた。迷路のような船内を船室へ戻り、眠りにつく。暗闇のなかエンジンか何かの音が響いていたが揺れは少ない。

遠方の夜行フェリー、船室の片隅で眠る16歳の僕を大学生の今思い返すと、何も変わっていないじゃないかと誇らしくも、惨めにも思える。

 

長崎という街がある。長崎県長崎市。あるのは知っていてもその立地ゆえに特に理由がなければ通過することもない、その街は九州の端にあった。

 

昔話をしたい。

トーマという人物がいる。2013年に活動休止したボカロP。主に僕の悪い癖によって疎遠になった中学校時代の友人…に薦められた曲のひとつに「九龍レトロ」があった。歌い手の動画。すべてがそこから始まった。

僕はいくつかのCD(デコニーナとか)を探していて、渋谷のツタヤの奥の方にあるボカロの棚で「アザレアの心臓」というアルバムを見つけた。トーマのアルバムだった。九龍レトロ…ではなく九龍イドラと名前が変わっているその曲を目当てにそれを借りて、その後YouTubeで見た"潜水艦トロイメライ"で完全にノックアウトされた僕はそこから1年ほどかけてトーマが世に送り出したほとんどの曲を聴いた。そして高校生になって、アザレアの心臓を買った。

圧倒的だった。高校生までは好きなアーティストといえば親が聴いていたもので構成されていた僕にとって、初めて自費で買ったアルバム。中学生から高校生にかけて僕を完璧に支配したこの世界はいまの僕の趣味嗜好の出発点になった。ごちゃついた建築、香港、廃墟から鉄塔病室花瓶。幹というよりも根。僕はこれらを一生抱えているのかもしれない。

 

話が逸れた。

先述の通りトーマは2013年に活動休止(2019年に別名義・まったくの別人Gyosonとして活動を再開している)、僕がトーマを知ったのは2016年。つまり僕は現役のトーマを全く目撃しておらず、彼の世界の全貌を把握したかった僕はGoogleを駆け回りインタビューなどを読み漁った。そのなかにあった、彼の「長崎の風景にインスピレーションを受けた」という発言によって僕は長崎という街に関心を持つ。

調べてみると、長崎の坂と入江、迫る山々とそれにへばりつく家はトーマというきっかけを抜きにしても魅力的な景観だった。同じく興味があった香港にも似た異国情緒を期待できたこともあり、長崎行きを決めるのに時間はかからなかった。

ちょうど大阪への遠征を重ねていた頃。京阪神に飽きた僕は旅行映像作品に影響を受けつつ、四国から九州へ抜ける旅程を仕立てて彼の見た街へ向かうことにした。

 

1週間の(当時の僕にとって)長旅は刺激的で、僕はようやくして旅をすることに目覚めた。そして長崎のホテルで、今度は青森県に興味を持った。東京に帰ってから父親の勧めで深夜特急を読んだ。いつの間にかあのロシアの、シベリア鉄道の旅は僕の中で具体性を帯びていた。どこへでも行けるのだと思った。

 

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自分の旅行趣味の出発点を、この長崎という街にできたことを幸運に思う。

つぎに向かうは雪に鎖された北の大地。

旅という、趣味を超えかかっているなにかを抱えて生きていくことが正しいのか、雑草の根のようにまったく価値がないにも関わらず絡まってくる思考に蓋をして僕は寒いところへ行く、戦争があるんだって!

ずっと空を見ていた / 円環

ずっと空を見ていた

最初に僕の考え、というか単純な好みを述べたほうがいい。僕は冬が好きだ。

もちろん夏と比較して。夏についての愚痴なら僕はいくらでも絞り出すことができる。こう書いているうちにも、家に蚊がいるという事実は僕をすばらしい不快感で包む。今日は暑かった。つい昨日までの旅で訪れた場所はもっと暑く、滝のように汗をかくという体験をずいぶん久しぶりにした。写真の観点で言えば日差しが強すぎ、陰が濃すぎる。どちらも好きではない。

自分くらいの年齢(高校生の後半から大学生にかけて)であれば音楽、小説、写真、などの「雰囲気」として明るいものを好むか暗いものを好むかで夏と冬どちらを好むかが分かれる。僕はお察しの通り後者なので冬を好む...というのが僕の持論である。が、この「雰囲気」の好みには”他人から見える自分”が明るいか暗いかはもちろん関係がない。とにかく僕は個人的に暗くて個人的に冬が好きだ。

もちろん夏も爽やかで良い。虫などスプレーでも撒けばいいし、猛暑のなか麦茶を飲むのは夏の醍醐味でもある。旅のあいだよく聴いた、これを聴くなら夏しかない、という音楽にはどれも爽やかさと儚さが同居していてもちろん素晴らしい。しかし度が過ぎているのだ。夏の長所を長所として楽しむには不快感が強すぎる。もはや本来の役目を果たせなくなりただの観光地となったかつての"避暑地"もそれを示している。もう少し控えめに…具体的に言うなら気温を下げて虫の数を減らしてほしい。

ここまで言って冬になったら今度は夏のほうが良い、などと言うほど近頃の僕の考えはふらふらしていない。こんどの冬に、冬を思いきり賛美する記事を書こう。

 

8月6日。去年や今年の夏に撮った写真を見返していると、僕は入道雲や晴れた空の写真ばかり撮っていることがわかる。さてなぜだろう。「来てしまったものは仕方がない」からだ。僕は夏が好きではない。あるとしても三日間くらいでいい。しかし夏は来る。毎年夏は来る。夏が来てしまったら、それをなんとか乗りこなさないと自分がとんでもなく惨めな者のように思われる。誰から見て?自分から見て。そうならないためには、何もなくてもなんとかして夏を満喫しなければならない。そういう焦りから生まれる、プールに溺れる人が水面を掴むような、絶望的な状況をなんとか打開するための必死の行為。あの曲の「夏の魔法」というものの正体は焦燥感にほかならない。そういうものから逃れるためのひとつの方法として、僕は夏の代名詞ともいえる入道雲の写真を撮る。それを冬に見返して、「なるほど、今年も夏があったのか」と思う。そうすることで、何も記録や記憶が残っていないよりは"観測した事実"というものが存在するからその年の夏に関して経験とその記憶が増える。なんとか生き延びる。

僕はもっと軽く考えるべきだ。夏はなにかを起こさなければいけない季節ではない。ただ暑いだけの、腐敗の季節。「街に吹き荒れる腐敗の季節」。そう、僕が僕でいられなくなる必要はない。第一に自分が劣っていると感じられるのはなにも夏だけではない。残念ながら。しかし夏は日差しが強すぎ、陰が濃すぎる。濃い陰からの脱出計画を、瓦解したそばから今日も立てずにはいられない。しかしそういう営みが他人に見られることはない。友達に自慢したいこと、夏らしいことができた時だけInstagramを開いてストーリーを載せればよい。皆そうしている。このように手段はわかっているが、僕はこういう仮の結論が出る度口癖のように「そういうことじゃない」と言う。それは誰にも聞かれない。

夏と冬はすべてが対照的だ。そしてその要素のうち冬側にあてはまるものを僕は好む。夏は動、冬は静。誰も彼も動かない、静かなほうがいいに決まっている。しかし僕は流行にはいちおう乗っておく人間なので、できることなら季節にあった旅先を選ぶか、季節にあった対象に触れてみたい。

そう、昨日まで新潟と、帰りに長野の北の方に立ち寄った。最初に降りた三条市の小さな駅はものすごい暑さで、田園のみずみずしい緑と夏雲と空を観測した。肌を刺すどころではなく抉ってくる太陽光線は暴力的で、"逃げ場がない"と思った。

最近はこういう余計なことを考えるようになった。"理想"や"期待"とそれらの対義語がいつもキーワードで、数年前に比べて哀しい人間になったと思う。もちろん僕から見て。悪いことではない。環境や成果は数年前とそこまで変わっていないがそれを大袈裟に喜んだり悲しんだりする。それを今のところ正しいと思っていることを、ここに記しておく。ここはいつでも私的な日記に限りなく近い、いつか読み返すための記録。

本当はもっと別のことを僕は求めているような気がするし、それを手に入れるためには今持っているものを一切合切捨てていかなければならない気がする。そうして行き詰まりかけても僕は思考を止めてはならない。歩みを止めてはならない。「踊るんだよ。」この前読んだ小説のどこかで誰かが言っていたのを思い出す。

(2021年8月6日)

 

 

円環

新潟へは旧友ふたりと行った。僕は「旅」と「旅行」についてわりと明確に異なる定義を当てはめていて、それが世間一般とか辞書とかでは正しくなくても自分のなかでは"そういうこと"になっている。自分の趣味と謳うからにはそれについてきちんと考えて、自身の考える正解を出しておかなければならない。

旅。家を出てから目的地に向かって帰るまでのすべての行為が目的。値段と時間が許せば普通列車や船などでゆっくり行くとよい。テーマパークに行かない。ネガティブな動機。そしてひとりが望ましい。

旅行。目的地で何かをすることが目的。目的地までは早く着いたほうがよい。テーマパークに行く。ポジティブな動機。ひとりで行ってもいいけど、まぁ普通は友達たちと、恋人と。

とりあえず僕は自分の趣味として前者の"旅"を設定している。しかしこれが(どうでもいいけれど)ややこしい。昨年大学に入ってから自己紹介する機会が当然いくつかあり、そこでは当然自分の趣味を言うことになる。そこで僕は"旅行"と"写真"を挙げる。"旅"ではなく"旅行"。ダメだ。「自分の趣味は"旅"です」とクラスメイトの前で言ってしまってはダメだ、滑るから。そういう場では最大公約数的な言い方をするべきなのだ。今回の話をする上ではどうでもいいが。

そうそう、僕は写真も撮る。事実趣味を訊かれて"旅行"と"写真"と答えるのは鉄道の撮影を趣味とする者がその趣味を隠すための常套手段で、自分が現在趣味と掲げている旅行や写真の起源もそこにある。モテるかどうかは別として趣味に優劣はないが、その点でいうと撮り鉄は近年本当に酷い。酷い箇所というのはいくらでも見つかるが僕にとって重要なのは「外聞」だ。

 

僕の自意識はいつの間にかさまざまなコンプレックスを溜め込んで肥大化し、僕にとっては僕がそんなことを趣味としていた事実すら耐えがたい。あまり自分の過去を否定したくはないが僕がそれに中学から高校にかけての数年間を費やすことなく旅行・写真という2つにたどり着ければよかったと常々思うが、まぁそう上手くはいかない。そして僕がここまでその趣味を呼ぶ上で最もメジャーな呼び方を使っていない、分かりやすさを無視して代名詞ばかり使っている、ところから僕の"それ"に対する評価の低さは想像されたい。

しかしどうだろう、そこから発展した「旅行」や「写真」という趣味はとても人聞きがいい。これは僕にとってとても嬉しいことで、自己肯定感の向上に一役買っている。今どき趣味らしい趣味を持っている人間自体少なくなっているが、好きなことを聞かれて僕が「旅行と写真ですね。」と答えると相手の反応は驚くほど良い。相手が年上だろうが年下だろうが、同性だろうが異性だろうが、好意的な反応が返ってくることが保証されている。なんていい趣味なんだ!

なりたい自分というものが最近ようやく出来上がってきたように感じる。その像には写真を撮りながら各地を旅する現在も取り込まれている。だから僕は人と話すとき、よく「旅をしなければならない」という言い方をする。僕は僕の機嫌を取るために、しなければならない。そうやって僕が僕の自意識を制御できるようになれば良いなぁと、思う。そのためには僕は海外に行かなければならない。十字架の丘を、シャウエンを、ロカ岬を、イルクーツクを、ウユニ塩湖を、この眼で目撃しなければならない。旅のことになれば僕はとことんアクティブだ。いつか僕が海外に旅立って、全能感を手にするまで今は何をしなければならないのか、そういうことを考えていると道は自ずと見えてくる。見えてきている。すべては輪っかのように自分の中で繋がっている。

(2021年8月6日/2022年4月8日)

果ての旅路 Ⅳ

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海を眺めていた。

 

船旅は退屈だ。

窓から見えるのは空と海、空は眺めていても変わらないし海は時折白い波を立てるだけ。

甲板に上がろうにも荷物を持って行くのは億劫だし、どうせ僕のことだから数分で疲れて帰ってくる。

船出の時に聴いた曲をもう一度聴きながら、僕を待ち受ける道南の風景に思いを馳せた。

 

 

7時丁度に青森・大間港を出港したフェリーは北海道・函館へ向け、津軽海峡を進んでいた。

窓外は穏やかな海。青森と北海道を隔てる海峡…の荒々しいイメージとは程遠く、船体を打つ波はこのフェリーが起こしたものだ。

時折、北海道のものと思しき山々が蜃気楼のように遠く見える。

 

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極めて穏やかな航海に暇を持て余していた。

船室の片隅で海やら船やらの曲を片っ端から聴いたり、函館から乗る特急を何時発の便にしようか思案したりで時間を潰す。

ミニアルバム「渚にて」の4曲目。

何度も聴いたアウトロとジャケットの背景とまるっきり同じ色をした景色に、飛んでもいない海鳥を幻視した。

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函館入港。

はるばる来たぜ函館へ

さかまく波を乗りこえて

つい歌いたくなるこの曲、「函館の女」という題名をこのとき初めて知った。

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函館といっても青函フェリーとはターミナルが違い、大間からの津軽海峡フェリー函館駅のかなり北に位置する。

歩いて40分で第三セクター七重浜駅に辿り着けるようだが、結果は目に見えているのでここは大人しくバスで函館駅へ向かう。

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函館駅。これでこの街には家族、友人、そして一人の三回来たことになる。

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そう、大間の無念を晴らすのだ。

申し訳程度のマグロ要素だがエビも美味かったので良し。

ウニが乗っていないのを頼んだが、今考えるとここで食べてみるべきだった気がする。旅先の食事で云々と何回言えば気が済むのだろう

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特急列車の切符を調達し、市電で暇潰し。

とりあえず十字街までやって来た。

函館市電の英語放送において「市電」の訳は「Street Car」となっていて、"Hakodate Street car"と放送される。この言い回しが僕のお気に入りだという余談。

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海峡通。

この街には風光明媚という言葉が良く似合う。
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十字街からドック前方面へ進むと欧風の建物が目立つ。そういえば函館も坂が多かった。f:id:irecords:20200604033330j:image
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草色とクリームのツートンカラーを纏った人気の812号。三回目にしてようやく遭遇した。
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旧型車はそのほとんどがラッピングされているが、718号のそれはレトロな雰囲気によく似合い好感が持てる。

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時間も押しているので、どつく前から戻ってきた812号の客となり函館駅方面へ戻る。
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なんとなく名前がいい感じの電停で下車。
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函館駅を過ぎたあたりの電停は仮設駅といったテイストで、看板のフォントも味わい深い。

そういえば函館飯の代名詞ともいえるラッキーピエロを完全に失念していたが、この調子だと4回目、5回目も余裕で有り得るからまあいいだろう…

 

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函館駅

三回目にして初めて構内を撮影した。冷気対策かホームとコンコースはドアで区切られている。停車中は森行き普通、いろいろ撮りたい構図はあるのだが例によって時間が無い。

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乗車するのは札幌行き特急北斗。

車両は新型だが塗装のモチーフがよく分からない…雪中を駆けるイメージだろうか。

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数時間で函館に別れを告げる。

今日の最終目的地、それは札幌だ。

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大沼のあたり。

大沼公園の見覚えのある駅舎、友達と食べたジンギスカンが懐かしい。さすがに今回食べることはないだろう。
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噴火湾とは反対側の席に座ったので車窓は延々と荒涼とした風景が続く。

これのスケールを倍にしたらシベリア鉄道にでもなるのだろうか…

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1時間と少し、長万部で下車。

ここまでで5000円、たいへんな贅沢をした。

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発車標だけ見ると本数は多めに見えるが、普通列車は非常に少ない。

15時24分の東室蘭行きまで待つことになる。
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時刻は14時前、とりあえず昼飯を調達するため駅前の国道らしき通りに出るとかなり寂れている。

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横断歩道を渡って東方向。

西へ振り返ると自動車が土煙を上げながら走り去って行く。

かつてかの寝台特急北斗星の停車駅として名を馳せ、現在でも特急北斗の停車駅となっている主要駅の、その駅前。

北海道の地方都市に横たわる寂寞は、予想以上に重たいものだった。

 

通りを東に進むと目当ての弁当屋があった。

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さけめし。名物はかにめしの方らしいが、ここでコンビニ弁当を選ばなかっただけ褒めてもらいたいものだ。
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列車の座席が並べられた休憩室、いわゆるイートインスペースがあるとのことなので使わせてもらう。

そこには僕一人だったが、車での来店は多いようだった。

休憩室では前方のモニターではビデオが流されていた。BGMがあるのかと思ったがそれは前面展望のビデオの音楽らしい。

ビデオは数分ごとに切り替わり、雪原を進む列車、かにめしの製造風景、長万部の観光名所を紹介している。

長万部から列車が発車し、かにめしは盛り付けも拘っていて、長万部の観光名所はどれも車利用前提のようだ。

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駅から南方向、海に向かう道はいかにも北海道らしい名前がついている。

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噴火湾沿いの道路は往来が激しい。

暗い海もそれに呼応するように激しく海岸に打ちつける。

曇天の海に圧迫感と退屈を覚えた僕は駅へ引き返した。

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途中通過した国縫という駅が気になったのでバスで向かうのも考えたが、やはり列車とバスとの時刻の兼ね合いがつかず断念。

今度は函館から長万部を普通、長万部から先を特急で行こうかな…と、かにめしも含めて再訪する理由が出来た。

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普通列車の改札が始まったので構内へ向かう。

車両はもちろん何度目かのキハ40。

キハ40の隣に止まっているのはここ長万部からニセコを経由して北の沿岸、小樽へ向かう函館本線・山線。函館から長万部までの函館本線が海線だ。おそらく。

この山線にもついこの間まで旧式のキハが走っていたのだが、この車両に置き換わっている。

沿線の住民にとって、ボロボロの車両が新型に変わるのはもちろん朗報だ。しかし旅先となると旧型…というか旅情を求めたくなるものだ。

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僕はもちろん、噴火湾沿いに南下する室蘭本線を選んだ。

東室蘭行きは初日最後に乗った能代行き以来の単行。

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特急を先に通し、定刻に発車する。


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道路沿いのなにかの廃墟。 


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長万部から2つ目の小幌はそのロケーションから、秘境駅の代表格としてその駅名は全国に知れ渡る。

停車する普通列車は非常に少ないものの上下の列車を使えば30分ほどの滞在で済むようで、今度は道程に組み込んでも良さそうだ。

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大岸からはふたたび海岸線を走っていく。洞爺で見た対向の特急は札幌付近でのトラブルで遅れているらしい…走行距離が長ければ長いほど遅延のリスクは大きい。

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伊達紋別を過ぎて線路が噴火湾に最接近する。

線路の真横は海。どうにも駅があるようには見えないが列車は減速を始め、自動放送が駅名を告げる。

 

北舟岡。ああ、ここが…
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この駅についてはある程度の情報があり、降りる予定はなかった。

のだが、実際に来てみると降りずにはいられなかった。

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衝動的にホームに降り立つ。

列車が行ってしまう。

もしかして僕はバカなんだろうか。今日は札幌に早めに着いて、夜の市電を撮るつもりだったはずだ。
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ここ北舟岡駅は2面2線の対向式ホーム。すなわち海側のホームは線路より海岸に突き出した形で設置されており、二日前の驫木よりも海が近い。

そうか、五能線はもう二日前なのか…

 

けれどこの海はあの日本海ほど荒々しくはない。

冷えた空と海は鉛色で、波打ち際の岩々は雨と海水に濡れて黒く。冷たさが伝わってくるようだった。

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2つのホームは跨線橋で接続する。

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北海道の駅名標はいわゆるホーロー看板で、今でも縦の駅名標はほぼ全てこの形式となっている。

近頃流行っている国鉄時代の復刻…というわけではないのが素晴らしい。

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函館から札幌に向かう場合長万部から室蘭本線に入る方が早いので、貨物列車や特急列車が頻繁に通過する。

特に貨物列車は多く、道内で鉄道輸送が重要であるのが分かる。

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線路は台地から一段下がった狭い場所を走る。

待合室、ロータリーと駐輪場は台地のほうにあるためホームから待合室へは階段を上っていく形。駐輪場からホームを見下ろせた。

三枚目の写真はロータリーから。住宅も多く、学生の利用が多いのもうなずける。
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貨物列車が行き違う。


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時刻は17時半、小雨がホームを濡らした。

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夕方から夜にかけての一日で一番短い時間。

刻一刻と迫る闇、空の色は深い青から黒に変わっていく。そういえばここに雪はなかった。

 

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18時、ようやく僕の乗ることができる列車がやって来た。

青黒く、心細い背景に瞬くヘッドライト。やけに頼もしく感じる。

比較的賑やかな本線の駅とはいえ圧巻の光景に満足して北舟岡駅を後にした。

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乗り込んだ列車は室蘭行き。

室蘭駅は札幌方面の幹線から数駅突き出した路線の終点で、札幌方面は途中東室蘭で乗り換えになるのだが折角なので室蘭まで向かうことにする。所謂乗り潰し。

そしてスマホの充電が切れたので単語帳に持ち替える。
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室蘭駅。その名を冠する室蘭本線のターミナルだ。

暗闇に浮いて見える光は測量山というらしい。ほかにも地球岬というなんとも抽象的な場所があったが、僕が探していたコンビニは近くになかった。

乗り潰しで重要なのは、いかにしてやることの無い終着駅で折り返しまでの時間を潰すかである。
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折り返し東室蘭行き。

電池が切れたスマホはただの文鎮、景色に集中しようにも外は真っ暗。

旅先の列車で単語帳を捲る…というのはせっかく逃げてきたはずの現実を自ら近づけるようで、なんとも虚しいことだった。

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東室蘭は綺麗な駅だった。

南北の出口をふらつくとコンビニの他にもホテル、学習塾、ラーメン屋などがあって、長万部とは街の規模自体が違った。

長万部はあくまでも結節点としての駅で、よく聞く地名=栄えている、と思うのは都会人の悪癖かもしれない。

北海道といえばのセイコーマートで惣菜やらを買い、コンコースのベンチでそれを放り込んでホームへ下りる。

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19時半の苫小牧行きは元・客車という特異な形式の二両編成。

苫小牧まで約1時間、単語を見る気もなく眠った。

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苫小牧はレトロな看板の主要駅だった。

ここから鵡川への日高線が分岐する。

 

そして…電光掲示板には"Sapporo"の文字。
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苫小牧は札幌都市圏の端で、この駅から札幌方面は電車が走っている。

千歳線普通列車で札幌へラストスパートをかけていく。

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札幌都市圏でも駅名標はしっかり旧式。

北広島でこの旅の最終走者である快速エアポートに乗り換える。
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着くんだなぁ。

着いてしまった、というほうが正しい。

何をするために札幌に来たのかというと、それは飛行機に乗って東京に帰るためである。

着々と近づく、本当の意味での旅の終わり。

この旅が終われば僕は晴れて受験生になる。晴れて。

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北の都の通勤電車はやはり異質で、もはや異国のようにも感じる。
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人が多かった。どうしても東京を思い出してしまう。

改札で武蔵野線某駅で買った18きっぷを見せると、「昔埼玉住んでたんでこの駅よく通りましたよ、遠いところからお疲れ様です」と笑った。

ここ札幌は「新宝島」で有名なサカナクションが拠点としていた場所なので、その曲を流す。

花曇り 夢の街

でも明日が見えなくて

人の波 まるで海

でも明日が見えなくて

この歌詞が好きだった。これはサカナクションのボーカルが東京に出た時の曲で、東京から札幌にやってきた僕とは正反対なのだが何度も繰り返してしまう。

僕の心情を見透かすかのように明日が見えなくて、とイヤホンでボーカルが連呼する。

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地下鉄ですすきのへ向かう。

地下鉄の駅から街路に繰り出すと、路面電車を撮る気など簡単に削がれてしまうような人混み。23時の繁華街、その喧騒は異臭がする。

あの都心で感じる息苦しさに気圧されなざらホテルへ向かった。

ホテルへ向かうところで客引きに声をかけられたり、バニーガールを初めて見たり。なんでこんな場所に宿を取ったんだろう…

 

この札幌こそが旅の終点、どん詰まり。

たった数分の煌びやかな光景。

それが眠っていた四日間の疲れを一気に呼び起こし、カプセルホテルに入る足がふらふら揺れる。

僕はいささか幻滅して、明日のことを考える間もなく眠りに落ちた。

 

 

最終日、起きたのは10時前。

とにかく疲れていた。

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大都市のカプセルホテルは洗練された内装が好ましく、チェックアウトも明快。

ろくに予定も立てないまま、夜の飛行機までの時間を潰すべく地下鉄の駅に向かった。

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札幌の市営地下鉄はゴムタイヤで走る。

ぶっ飛ばすゆりかもめのような感覚が面白かった。


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テレビ塔、時計台、札駅、味噌ラーメン。

さすがの僕でもご当地ラーメンくらいは食える。

 

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当然だがこの旅をする中て僕が求めているもの、見たかった景色は既に過ぎ去っていて、札幌は余韻に過ぎない。

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これまで馬鹿の一つ覚えのように連呼してきた「最果て」という語句も更に北へ、更に東へ延々と伸びる北海道の鉄路の前で使えるわけもない。

札幌は北海道の旅の拠点。

旅の終点は次の旅の起点。

いつも旅が終わる前から次のことを考えていた。

 

僕にとって旅とはまさに現実逃避そのもので、僕が旅をしなくてよくなるときは生活に満足しているか、本当に旅にのめり込んでしまって帰る場所が無くなっているかの二択だと思っている。

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今回は何から逃げたのかというと桜前線とともにやってくる「受験生」の肩書き、将来への不安。後者に関してはこれからも付き合うことになりそうだ。

 

これから飛行機に乗れば一気に東京に戻される。

ゆっくりゆっくり目的地へ向かって、目的地から東京へ飛んで帰るというやり方は、自分で計画したとはいえあまりに非情に思える。

 

今度からは逆にしようかな…

それ以上に、つぎ北海道に来る時は「明日が見えなくて」なんて歌詞が刺さらないことを願う。

 

空港行きの快速で、夕飯を押し込みながら考えたのは概ねそんなことだった。


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さようなら北海道。

 

 

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東京。

桜が咲いていた。

 

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果ての旅路 Ⅲ

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ここは本州の最北、青森県

…そして朝5時半。

いつまで早起きを続けなければならないんだ…などと思うが、この行程を組んだのは他でもない自分だから何も言えない。

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駅までの道を歩いていると右手に大きな三角形が現れる。たしかアスパムという名前の物産館で、青森県で最も高い建物らしい。

当然ながら県庁所在地には高層ビルがあるのが普通という訳ではないが、山形で見た田園風景に忽然と現れる高層マンションはどう説明がつけられようか…

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片手間にスマホで撮ったものばかりで恐縮だが抜け道のようなスナック街。朝なのでもちろん人はいないものの、地方都市はこういった風情のある通りに突然出くわすから面白い。

 

さて、青森駅

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連絡通路の窓サッシが朝日を受けて輝いていた。

なぜこんな早朝から駅に来るか、それはもちろん始発列車に乗るためである。

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青森6時15分発、津軽線下り・蟹田行き。

これで三日連続で始発列車に乗ることになる、例によって本数が少ないので致し方ない。

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女性車掌の明朗な声が頼もしい。「蓬田」でヨモギタは読めない

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終点の一つ手前、瀬辺地を過ぎると海を望む。

瀬辺地蟹田といえばかつての夜行急行「はまなす」の撮影地として有名だったようで、「瀬辺地」という耳慣れない響きの地名に遥か彼方の地というイメージを持っていた。

辺地・ヘジというのはアイヌ語由来のようで、他にも同じ青森県で野辺地という地名が思い浮かぶが他の県にもあるのだろうか。

 

要はその遥か彼方まで自分は到達したのだ。

感慨に耽っていると、車掌が終点・蟹田の名を告げた。といっても今回の津軽線はここからが本番となる。

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蟹田。再び登場、旧式キハの2両編成に乗り換え

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目指すは津軽線の末端、三厩

乗ってきた電車と対照的なくすんだ色味、掠れた行先のプレートが旅情を誘う。

どこに座ろうか車内を見回すと、数少ない乗客の年齢層はやはり高め。

しかし地元の方と思しき方々に混じり小旅行といった雰囲気の若い女性が乗っていた。

この列車に乗るためには僕がそうだったように、青森駅6時の電車に乗らなければならないのだが…見かけに反して上級者かもしれない。

向かって左側、車両中央あたりの席に腰を落ち着ける。列車は青森市の北、更に北へ走り始めた。

 

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発車して早々、車窓からは鬱蒼と茂る木々しか見えなくなる。時折木々の間から覗く残雪が目に染みた。

電波も途切れ途切れで、何をするでもなくボーッとよく揺れる列車で進んでいく。つい昨日同じようなことを同じような列車でしたような気がするが。

 

やがてエンジンが切れて静かになると、列車は警笛と共に長いトンネルに突入した。

トンネルを抜けたら開けるかと思いきや、鉄路は依然として高い高い木に囲まれている。しばらくすると向かって右側に道路が現れ、北海道新幹線の堂々たる高架線が見えてくる。

 

津軽二股という駅で新幹線に乗り継げるようだが当然乗降はゼロ。

この最果ての列車に揺られるのは僕のような酔狂な旅人、はたまた一日に五本しかない列車で諸用に向かう地元の人々。

どちらもこの駅から新幹線に乗る機会は無いだろう、少なくとも前者に関しては確実に。

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津軽浜名という風流な名の駅を過ぎると次は終点の三厩。再び海を拝むことができた。

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終着駅、三厩

列車がやってきた方を振り返ると鉄路の両脇には枯れ草ばかりの平原、進行方向には冠雪した山々が行く手を阻むかのごとく聳えている。

思い描いていた通りの「末端」の光景に胸が高鳴った。

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津軽半島の先端を走る頼りない列車、その目的地であるこの駅。

乗客を下ろした二両編成は荒涼とした風景の中で折り返しを待っている。

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駅舎内。

薄暗いが座布団に温もりを感じる。こうした無人駅でベンチの上に座布団を敷いているのをよく目にしたが、やはり冷え込む冬への対応なのだろうか。

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駅前に出て線路の終点側を見る。

津軽半島の最北端・竜飛崎と日本海側に抜けていく道路が続いていた。

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駅舎からまっすぐ伸びる道は海のほうまで。

駅前の建造物はほとんどが廃墟で、駅のホームのほうを振り返ると薮が生い茂っていた。

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駅前広場をうろついていると、車内で見かけた女性に声をかけられた。

女性は日本海側から北上してきたそうで、端っこに行ってみたいという僕と同じような理由でこの津軽の端の駅に辿り着いたらしい。女性もやはり旅人だった。

やはり「果て」には旅行者を引きつける何かがある…

 

その末端の地で旅人同士が出会う、なかなか素敵な構図ではないかと思う。共に行動するわけでもなく少しの立ち話で。

いまは旅をする中で、それくらいの距離感が心地良い。

 

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人通りはほとんど無い。上の写真にはお婆さんが写っているが、駅前のこの道路を通っていたのはその人くらいで車の往来すらもなかった。

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本数は当然少ない。

数年前までは有人駅だったようで、せっかくならその頃に来てみたかったがおそらく中学生だ。

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終点の空気、まさにその理想を味わって青森に戻る。

発車のベルは無い。それはあっても仕方がないからで、それはきっと良いことだ。

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そういえばこの形式に乗るのも最後かな、と思うと車内の写真も撮りたくなる。もっとも五能線で十数枚は撮ったがおそらくこれで本当に最後。

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蟹田でお別れ。楽しい時間をありがとう

 

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青森駅に戻ったのは10時。

旅先の地方都市から秘境へ小旅行し、地方都市に戻ってきてもそこはまだ旅先なのだ。この幸福感。

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塗装が気に入ったのでバスを少し撮影。

AやらKやらSやら系統番号に付いているが、どうもこの後再編されたらしい。

 

この後乗車するのは12時過ぎの八戸行きなのだが、予定は昼食くらいしかないので青森港のほうへ歩いてみる。

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港に停泊していたのはかつての青函連絡船、八甲田丸。現在は博物館になっているので停泊というのは間違いかもしれない

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暇潰しに入館。

寒い寒いと連呼する人形。当時船に載っていたというグリーン席。上野までウン百円だとかいう運賃表。そもそも僕以外に居ない来館者。

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展望広場はこの通り、悲しい

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かつてこの船で函館へ渡った車両やらボイラーやらを見つつ順路は終わった。

特に躊躇する値段でもないのでまた暇があれば、という感じ。

 

昼飯…青森の名物ってなんだっけ…と考えるのも面倒だった。

名産品自体に興味はあるのだが大体いつもコンビニ、牛丼で済ませている気がする。

そういえば五所川原でもその前の長崎でも同じことを思っていたが、これらはただのコンビニ飯ではなく青森のコンビニ飯であり長崎のすき家なのだ。

妥協が一番。旅先で食事するのに無理をする必要などない、自分が求める旅はもっと違うところにあるはずだ……と自分に言い聞かせて駅前の吉野家に入った。

 

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青森駅跨線橋から。大きな橋と長いホームの光景がいかにも青森駅らしく気に入った。

 

青い森鉄道、野辺地まで約40分。

写真は撮れなかったが途中浅虫温泉の町はなかなか栄えていた。青い森鉄道秘境駅に降りつつ行くのも考えたが時間の都合でボツ。

 

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野辺地駅。向かい側の1両はこれから向かう大湊線からの快速で、"しもきた"の列車名がある。

いよいよ下北半島の付け根の部分、野辺地にやって来たのだ。

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日本最古の鉄道防雪林、らしい。

防風林ではなく防雪林…調べると吹雪対策と出た。地理はよく分からないが、吹雪の対策に森林を立てるほど厳しい地方なのだろう。

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12時57分発の大湊行きは野辺地まで快速として走ってきた2両編成。この列車でついにこの旅の主目的、下北半島に足を踏み入れる。

のだが、本来目指すはずだった佐井の集落までは行かずに途中の大間までとした。

これは時間の都合もあるが、例の下北交通の「むつバスターミナル」がなかなか風情があるらしく折角なら行ってみようという考えに至り、しかもその建物は先が長くなさそうなのでそちらに時間を多く使いたい…という訳だ。

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大湊線下北半島を北上していく。

車内は予想に反して賑わっていて、高校生の姿も多くみられた。

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吹越。このあたりから東へ向かうと六ヶ所村に当たる。

青森県のどこかに核燃料の再処理場が存在するとは聞いていたが、それが下北半島にあると知ったのはここに来て地図を見てからだった。

土地が余っているから。そんな単純な理由で片付けられるわけがないが、その村に施設が出来るまでの紆余曲折、住民の思いを僕は知らない。

昔誰かが「旅人というのは残酷」だとか言っていたのを思い出した。

この土地の現在や過去を知る義務は僕にはなく、海岸線を掠める列車は足早に北上していく。

 

大量の風力発電が寒々しい海岸に向かって立っていた。

半島北東部の東通村に日本最大の砂丘があるのを知った。

その村に原発があるのも知った。

土地が余っているから。いや…

 

今僕が旅するこの土地は決して明るくない、生々しい側面も持っている。

それに不思議と惹かれた。

やはり僕は所詮、この半島においても身勝手で残酷な旅人でしかなかった。

 

陸奥横浜という駅で高校生が多く降りた。そういえば僕が東京生まれでなかったらまた違うことを考えたかもしれない、と見覚えのある地名を見て思った。

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大湊駅、終点。

ここからJRバスでむつバスターミナルの近くまで向かっていく。本来は手前の下北駅からバスに乗り換える予定だったので、大湊線の乗り潰しで良しとする。

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有人駅で綺麗な駅舎、素晴らしい。

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駅舎の壁にはちょっとしたアート。

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駅前より
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JRバス田名部行き。列車と時間が合っているわけではないのでここからの乗客は僕だけだった。

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終点の田名部には"駅"とつく。かつて下北交通が運行していた鉄道路線にもこのあたりに田名部駅を置いていたらしいが、それとこれと関係があるのかはよく分からず。

バスの背後にある駅舎というべきか待合室というべきか建物の中は薄暗く、テーブルやら職員の詰所やらがあった。これもよく分からず。

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田名部駅からバスがやって来た方に戻りつつ撮り歩く。松木屋は地方デパートといった出で立ちだが営業しているのは1階のスーパーだけのようだった。

人通りのない道に錆びついた建物。このような切り取り方しかできないのが情けないが、東京でも同じような所を狙って撮っているから仕方ない。

これまで訪れたのは地方都市といえど県庁所在地ばかりで、このような遠方の都市に滞在するのは思い返せば初めてだった。

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寂れたメインストリートの廃墟、シャッターすらも錆び付いた看板建築とビジネスホテル。この下北半島の玄関口にとって当たり前の光景。僕はいつからか寂れた情景を好むようになっている。

今度はこの街で一泊しよう…

まだ見ぬ半島北部への期待とともに、例のバスターミナルへ足を向けた。

 

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その佇まいに思わず声が漏れた。

むつバスターミナル、下北交通の拠点となっている。

大きな立方体を少ない柱で支えているようなその外観。

無機質な存在感は、上層階の朽ち方も相まって少し触れたら崩れそうな頼りなさを備えていた。

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プラットホームにミニバスが停車していた。行先は数時間前に出発した野辺地…

野辺地→むつをバス移動も考えていたのだが、これは列車で来て正解だったと思う。

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乗り場。暗い

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待合室に入ると石油ストーブの香りと暖かさに包まれる。

これに懐かしさや安堵を感じるのはもはや日本人の本能とも言っても過言ではないだろう、この時点ですでに僕は感動の涙を流しかけていた。

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ベンチに座るとギギギギと大袈裟に唸る。売店が営業していた時代を考えると少し惜しいが、このバスターミナルで過ごして記録を残せたのは素晴らしかった。

急でも予定を変えて正解だったのだ、やはりこのような旅において一人というのは大きい。

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発車案内は窓口のおばさんによる肉声放送。

ただ今二番のりばに入りました車は17時10分発、尻労行きでございます…今でも言い回しとアナウンスが蘇る。

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時刻表。数字ではなく漢数字

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こればかりは文章より写真が良い

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16時10分発、大畑駅行き四題

この大畑駅もかつての鉄道線の駅名。

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僕は確かに、陸奥の国のさらに奥、正しく最果てのバスターミナルに居る。

こんなところまで来てしまった。

この建物と周辺、この半島は僕の中の「こんなところ」を体現していた。あの日、長崎の街で夢見た最果ての場所。

三厩駅にむつバスターミナル、両者を1日で巡った僕は、大変な満足感に浸りながら待合室を歩き回ってはシャッターを切っていた。

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乗車する佐井行きの発車時間が近づく。

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並ぶ同じ塗装のバス、その奥をすり抜ける外板の浮いたバス。どれも長い間この北国で使われ続けてきたが故に錆ついている。

奥の留置場からバスが何台も出てきてプラットホームに並ぶ。本州最北端のバスターミナルはささやかなラッシュアワーを迎えたようだ。

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尻を労うと書いてシツカリと読むらしいが、これはアイヌ語由来だろうか…因みに経由地にある「袰部」はホロべ。読めない

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おばさんの放送がいよいよ佐井行きの到着を告げる。

4番のりばの車、17時10分発、佐井行き。

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先発はあちら、下北半島の北東端尻屋行き。

 

尻屋行きの後を追って佐井行きは本州最北端に向けてむつバスターミナルを後にする。

もしこの素晴らしきターミナルがこの先残っていれば、雪が降る時期にまた。

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バスはむつ市の住宅地をまっすぐ北上して海辺に出ていく。

見ての通りよく揺れる

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バスは30分ほど走り、途中大畑駅で5分停車。

前述の通りここはかつて下北交通が運行していた鉄道路線「大畑線」の終点であった。写真には写っていないが車庫が併設されており、現在でもかつて走っていた車両が動態保存されているらしい。

写真の建物はかつての駅舎。現在は待合室と出張所になっているようだった。

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行き先表示はシンプルに「佐 井」の二文字。2つあるドアのうち後ろのものは使用していなかった。

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海岸沿いを黙々と走り、たまに峠を登ってまた海辺に戻る。自動放送は当然聞いたことない地名を喋り続けている。

車窓に飽きた頃、大畑からさらに30分走ったところで日は完全に暮れた。

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バスは下風呂温泉郷を抜けていく。

有名な温泉地のようだが温泉にはさほど興味がないので今回はスルー。

しかし車で長らく走り続けて到達した、津軽海峡を望む温泉地ーーというのはなるほど良い感じに聞こえる。

いつか温泉最高!とでも言える歳になったら再訪しようと思った。

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外は何も見えないので地図を見る。遥か彼方の東京……本州最北端の地は眼前に迫っている。

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大間崎。もちろん真っ暗だが此処こそが本州最北端の地で間違いない…はず
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大間町に入ったバスは町内の要所を巡っていく。今夜の宿の最寄りももう近い。

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バスを見送る。
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民宿…ではなくビジネスホテル。サンホテル大間は大間町唯一のそれで、WiFi完備で素晴らしい。

 

大間名物といえばもちろんマグロ。

このホテルのレストランで頂こうと思っていたのだが、ラストオーダーの時間を過ぎていたのであえなく断念。この無念は函館で晴らす……

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そう、函館はすぐそこにあるのだ。

数ヶ月前に修学旅行で訪れた街にこうして秘境の地を巡った後で向かうのは不思議な気分だが、とにかく明朝のフェリーで30分も行けばそこは北海道である。

友達に現在地を連絡して失笑を買い、珍しく早く眠りについた。

 

 

 

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明朝6時。

大間の朝はやはり冷えている。

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本州最北の漁村、その早朝をカメラに収めつつフェリー埠頭へ急ぐ。

道路標識は到達を諦めた佐井の文字もあった。いつか、また。

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予想以上だった。

下北半島に流れる北国の冷たい風、こんなところまで来てしまったという達成感と背徳感、重くのしかかる廃れた情景の寂寥………

この半島こそが、僕の求めていたもので間違いない。

確信した。

それでもまだこの半島の西部を知らないし、ひときわ朽ちたバスが向かう尻屋崎にも行っていない。あのバスターミナルもまだ撮り足りない。今度来た時は、と無意識のうちに繰り返していた。

 

僕はまたここに来るんだろうな……

フェリーの汽笛を聴き、遠ざかっていく大間の街並みを眺めながらそう思った。

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果ての旅路 Ⅱ

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朝5時、能代

昨夜と変わらず誰もいない、この街が眠った後に着いて起き出す前に去ることになった。

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人がいなくても列車はやってくる。

能代5時23分発、下り岩館行き始発列車。

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案の定車内に乗客の姿はなく、自分一人を乗せて三両編成は能代を出発する。

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川を渡って向能代北能代と停車していく。川の反対側を指して「向」という字を付けているのは東武の大谷向と同じか。

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路地の向こうに朝が見える。

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朝焼けが見えるのと反対側の車窓。風力発電はなんというか、本当に何も無い場所に整然と並んでいるのが非現実的で面白い。

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遠くに山が見えてきた。白神山地だろうか

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夜が明けてくる。海に迫り出していく車窓は感動もので、久しぶりに鳥肌が立った

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40分ほどで岩館に到着。予想はしていたが何もない

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色々と。草臥れた気動車、サボも味がある

6時17分の弘前行きは二両編成。これに一時間半揺られることになる。

発車まで乗客は現れず、汽笛一声。

自分一人を乗せて古びた気動車は岩館駅を定発した。

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ようやく青空が見えた。明け方の日本海を遠目に、時にはすぐ脇に見ながら海岸線を北上していく。

エンジンの直上の席に座ったようでガラガラと動くエンジンの揺れと、それが切られた時の静けさとの差が激しい。

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撮れそうなところでは駅名標を撮った。

このあたりの記憶がないので多分寝たり起きたりだったと思う。煩いはずのエンジンの音と厄介なはずの縦揺れも、眠気の前ではもはや睡眠薬だった。

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黙々と進んでいく。

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やがて鉄路は海に最接近。

視覚は線路を直接殴るような波、聴覚はアイドリング音に支配される。駅間が長いのでアナウンスもない。

美しい車窓に思わず声を上げても、それを聞く他の客は居ない。

早朝のローカル線はひたすらに美しく、ひたすらに自由だった。

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7時半過ぎに十数駅目、風合瀬という駅に降り立つ。

幻のようなローカル線の時間は、惜しくも夜明けと共に終わってしまった。

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列車を見送る。

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このロケーションにこの風情ある駅名、降りない手はない
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海岸は荒涼としていて、使われなくなって久しいだろう小屋が並ぶ様はまさに「果て」を思わせた。

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すぐ後ろに民家があるため構内は比較的狭く、その民家を除けばホームから繋がる道にも廃屋が目立つ。

なるほど、気に入った。そもそも名前が良い。

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30分ほどの滞在。ここで待っても昼まで列車は来ないので、近くの国道まで出てバスを待つ。

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駅から国道を北に歩いた場所、バスの待ち時間で少し撮り歩く。

車通りは多いが人は全くいない。荒れ果てた海辺の情景は、僕を青森県の虜にさせるのには既に十分だった。

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頼りないバス停。ここからバスに乗車する。

乗る時間の10分ほど前に回送車が見えて、もう行ってしまったのかとそれはそれは焦った。なにせこのまま風合瀬駅に戻れば、さっきも言った通り昼まで列車は来ない。

 

まあ…それもいいかもしれないが。

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列車と同じくバスもよく揺れる。そして速い。

集落を経由していくようで道は山がちだった。

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バスは再び海岸に飛び出し、千畳敷で僕を降ろすと鯵ヶ沢へ向けて走り去った。

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奇岩に用があるわけではなく、風合瀬を通過する快速に乗るためだけに来た。

千畳敷駅は駅のすぐ後ろに山、道路を挟んですぐ海という場所に位置していた。これぞ五能線

千畳敷9時前の下り快速。先程通り過ぎた深浦まで戻る。

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川部を7時発という時刻もあってか、この快速には僕と同じような旅人が多かった。

僕がカメラを車窓に向けると、向こうの席でもカメラを向けている人がいる。

仲間がいるようで少し心強い。

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深浦に9時19分、普通弘前行きと交換。

旅人たちを乗せた快速は東能代まで向かうが僕は深浦で下車する。

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深浦

 

ここで3時間を潰すが特にやることは無い…ので駅前をふらつくことにする。

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日本海のすぐ脇、線路と海の間に細長い住宅地があった。

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深浦で昼食、とまでは決めていたが店を決めている訳もなく、見つけたコンビニのイートインで済ませる。ここからも海が見えた。

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本当にやることがない。

近くの観光地らしい場所へ

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大岩海岸、というらしい。

多分一番奥の一番大きな岩が大岩なのだろう、分かる

海風に耐えかねて駅へ戻るも時刻は10時。

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深浦の駅舎。宿直施設らしきものがある。

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駅舎から出るとすぐこの光景が目に入る。

大岩海岸でも思ったが日本海は青色が深い。
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深浦町役場はもう少し南のようだった。

これから乗るバスの始発駅まで行ってもよかったが、冷たい海風に吹かれているとそんな気は失せていく。

結局バスが来るまでストーブが効いた駅舎に居た。

暖を取れるというのがいかに重要かわかる。

 

バスを待っていると地元のお婆さんに話しかけられた。

最初は津軽弁だったが、こちらが口ごもるのを見てどこまで行くんだ、と言い直した。

広戸まで、と答えた。

単にバスで向かう先を答えただけだが、まるで自分がこの地の人間になったような気がして心地いい。

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12時のバスで深浦を離れる。風合瀬から乗ったのと同じ車両、同じ運転手の方だった

 

バスの車内では地元の人々が話していたが、今度は全く聴き取れなかった。

これは誇張でもなんでもなく、知っている単語のひとつも出てこないのだ。遠くに来たなあ、というより話しかけられたらどうしようという気持ちでバスに揺られた。

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広戸駅前に到着。

列車で言うと1駅、バスでも十数分だった。

 

今年の1月。長崎という街を"これまでで一番"というくらいに気に入った僕の被写体、というか写欲は70mmというなけなしの標準レンズでも撮れる「路面電車」に傾倒していた。

数ヶ月前まで本業は撮り鉄だったはずだが、九州で望遠レンズを壊して以来全く撮ることがなく3ヶ月。

ついに今回普通の列車を撮る機会が来た。

…というのも折角五能線まで来たから形だけでも編成写真を撮りたい、というのが本音ではあるが。

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広戸から線路沿いを歩く。波やら風やらから列車を守るシェードが物々しい

目星をつけていた撮影地は橋の閉鎖で辿り着けず、そんなことある?という感じ。

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そうこうしているうちに貴重な列車がやってきて、なるほどこんなものだな…と自分に言い聞かせて駅まで戻った。

これから撮る時は準備は入念にしておこう、というのともう受験だし丸一年撮る機会はないな、というのを同時に思う。

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後追い、こちらの方が良い

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広戸に戻ってきた。

上りの冗談みたいな本数に物置のような待合室。

ホームに上がれば海…なら完璧だが、海ではなく防護柵があるのは残念。

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ほどなく防護柵の向こうから弘前行きがやって来る。

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あまりにも海が近くて同じような構図の写真を何枚も撮ってしまう。

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受験が終わったらマウントを変えようと思っているので、この赤いカメラが主役の旅も今回が最後になる。

せめてもの思い出にと、このカメラ自体の写真も撮っていくことにした。

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13時を過ぎた頃、この路線の代名詞ともいえる駅に到着した。

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驫木

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秘境駅としてこの駅の名を良く聞くだけあり、海の迫力が物凄い。

風合瀬にあった防風林すらなく、列車を降りた瞬間から横殴りの風に煽られる。

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列車の乗車位置を示す看板、広い広い海を背に頼りなくゆらゆらと揺れていた。

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駅ノートは丁寧にいろいろと纏められていた。

見てみると十数冊あり、その多さに人気の度合いを垣間見る。

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木の温もりと、窓から見える濃紺の海。

深浦のコンビニで買った菓子パンも相当に美味しく感じた。


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もちろんやる事などないのだが、木の香りと広い待合室が心地よい。

 

ときどき扉を開けてホームに出る。

海の轟く音がひたすらに響き、しばし圧倒される。

しかし遮るものが全くない風は容赦なく吹きつけ、たまらず待合室に舞い戻る。

これを数回繰り返していた。

夏なら本当に何時間でも居れそうだった。

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1時間ほど経って深浦方面の列車がやって来た。

乗降はゼロ、最後まで待合室を独り占めできそうだ。

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日が傾いてきた。

列車で訪れる人はいなかったが、車でやってくる人はこの2時間の滞在でも数人見かけた。やはり人気のようだ。

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眩しく輝く海は轟音を響かせ、海風も変わらず冷たい。

駅舎の張り紙によると「驫木」の名の由来はこの波の音に三頭の馬も驚いた、ということらしい。

波の音が発端というのはなんとも風流だし、現にここの旅人の耳にも強く残っている 。

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15時の列車で驫木を後にする。

惜しいがまた来よう。今度は夕焼けをここで迎えられたら尚良いだろう。

再びこの駅に降り立つ頃にはこの旅情溢れる汽車は居ないかもしれない。

 

それでも僕はこの駅に、この駅だけの価値を見いだした。

つまりはまた来たいと思った。車両が変わってもこの駅はきっと変わらない、これまでこの駅を訪れた旅人たちも同じことを考えただろうか。

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再訪を木造駅舎に固く誓って、海辺の秘境駅を後にした。

 

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ドアの窓から波の輝くのが見える。

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鯵ヶ沢のあたりで海と別れ、代わりに「津軽富士」とも呼ばれる岩木山を望む。

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「富士」を冠するだけあってその山容は偉大。

岩木山バックの撮影地も多いらしい。

機会があればまた来たいが、やはりこの草臥れた汽車はその頃には運用を退いているだろう。

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などと言っていると五所川原では何やら骨董品レベルだろう車両がゴロゴロ転がっている。

津軽鉄道

「最北のローカル私鉄」というのには惹かれるものがあったが、今回は五能線がメインということで断念。

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津軽鉄道には乗らなくとも五所川原で下車してみる。

ここで早めの夕飯といこうかと思っていたのだが、めぼしい飲食店が無い。

定食屋はあるようだが見知らぬ土地の定食屋というのはどうしてもハードルが高かった。

…そもそも知らない土地の定食屋に入れないような奴が海外旅行できるのか、という話になるので次からは積極的に入ろう。次からは。

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五所川原駅のロータリー。

バスターミナルは傷みが激しく、その脇のビルは看板の字が抜け落ちている。廃業したのだろうか

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津軽鉄道五所川原駅。改札の向こうにはは発車していく五能線、この辺りは本数が多い。

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津軽鉄道は「ストーブ列車」なるものを運行しており、なかなか興味深い。このストーブ列車は夏にも企画運行があるようで、誰が乗るんだという話だがどういうわけか人気らしい。

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津軽鉄道普通列車が駅の裏手から見えた。また来ようまた来よう。

列車に「走れメロス号」の名がつくように、五所川原太宰治の出身地らしい。

そういえば電子辞書に彼の「津軽」という題の小説が載っていたような、なかったような。

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かの文豪の故郷。その夕暮れ。

気候だけでなく、どこか寒々しいこの町で感傷に浸る。

ここに到着する時に見えた古い気動車は、もう使われていないようだった。

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鯵ヶ沢で海から逸れ、五所川原以東は一転し弘前に向かって南下していく五能線

鯵ヶ沢から弘前は生活路線の色が強く、区間列車が設定されており本数も利用者も多い。

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夕日が眩しい。

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暮れ方の車窓、岩木山。心の中で津軽富士、津軽富士だ…と連呼しながら見惚れていた。

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太陽はいよいよクライマックス。

鯵ヶ沢湾に沈む夕日が赤赤と水平線を染め上げる。心の底から美しいと思った。

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列車を見送る。

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さて、鯵ヶ沢に戻ってきた。

今回は夕方の車窓を見たかったのでいい時間にあった下り列車に乗った訳だが、帰りは鯵ヶ沢始発に乗るので安直に鯵ヶ沢まで来てみた。

が、当然やることが無い。

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適当にふらつきてローソンでからあげクンを買い、駅に戻る。

これでは日常と変わらないが、見つけた揚げ物の店も閉まっていては仕方がない。

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三角屋根の駅舎。岩木山の冠雪が覗く。
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駅の特産品コーナーらしいが鯨やらヒラメやらイトウやら。何ヶ沢だここ

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鯵ヶ沢始発の弘前行き。

五能線に乗るのはこれで最後となる。

鯵ヶ沢からの客は僕一人だった。そういえば今朝岩館から乗ったのも1両を2つ繋げた組成だったか。

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終始乗客は少なく、五所川原の街を再び見ることなく眠りに落ちてしまった。

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川部で下車。20時を回っていた。

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五能線はここが終点。朝5時に能代を出発し、寄り道しながら147kmの道程をゆっくりと来たわけだ。

乗った列車は全て愛すべきボロキハとでも言うべきキハ40、波打ち際の車窓が既に懐かしく思える。

 

この列車は奥羽本線に乗り入れて弘前まで向かう。弘前まで行きたかったが、これから乗る弘前始発の青森行きは弘前から川部の間でこの列車と行き違いになってしまうようだ。f:id:irecords:20200411021850j:image
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乗ってきた列車は何を待つでもなく数分停車し、弘前に向かって去っていった。

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対向の鯵ヶ沢行き。

五能線のキハ40を撮影する最後の機会だと思い、川部でかなりの枚数を撮った。

 

川部から青森へは約30分。

21時も過ぎた頃、乗り疲れた普通列車の車窓から見えた駅名標には「青森」の二文字。

電撃のような感情が走った。

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21時15分、ついに青森に到達。

昨日の始発で地元を出発し、寄り道に次ぐ寄り道。それでも新幹線、特急に乗らずここまで辿り着いたのだ。

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達成感とでも言うべきか、感動に包まれたまま通路に上がるとこの駅を跨ぐ大きな橋が見渡せた。

かつて急行「はまなす」の始発駅だったこのターミナルは、この長い長い往路の終着駅に相応しい旅情を備えていた。

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外に出ると想像以上に栄えていた。

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宿のテレビで青森市のローカル放送を流す。市バスの時刻が春ダイヤになるとか、どこの小学校の吹奏楽だとか。

完全にどうでもいい情報で疎外感を味わえるのが気に入った僕は、それを流しながらカップ焼きそばを啜った。

「旅が楽しい」と思うのは案外こういう時だったりする。

果ての旅路 Ⅰ

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長崎のホテルでツイッターを流し見していると、あるツイートが目に留まった。

暮れ方、おそらく終点なのだろう雪の残るバス車庫の写真。

バス2台がようやく入るというスケールのその車庫には明かりのついたバスが止まっていて、ヘッドライトが雪と砂利でぐしゃぐしゃの地面を照らしている…

とにかく気に入ったその写真から伝わる疎外感、空と建物の退廃的な美しさ、そしてツイートに添えられた文の「最果て」という3文字が僕を捕らえて離さなかった。

調べるとその車庫を終点とするのは下北交通、佐井線。なるほど悪くない響きだ。

 

旅行の最中に次の旅行の計画を立てるのは当たり前、ということで春はこの「最果て」というモノを見に行こうと決意した。

2020年1月、長崎でのことだった。

 

 

というわけで、3月24日。終業式の次の日の早朝、始発電車でとりあえずは新宿に向かう。

目的地は本州最北端、大間。その後飛行機に乗るため最北の都、札幌を目指していく。

つまりは本州をひたすら北に向かい、ついでに海峡を越えて北海道へ。とにかく北上する。北へ。

 

5時すぎ、最寄り駅の時点でやや白んでいた空は段々と青を薄めていく。こんな情景にはサカナクションが良く合って、始発電車から夜明けを眺める非日常を堪能した。

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5時30分、新宿。

思ったより明るく、冬はもう行ってしまったことを実感させられる。

ここから埼京線、赤羽で乗り換えて宇都宮線もとい東北本線、と北への歩みを進めていく。

赤羽から宇都宮線に乗ると満開の桜が見えた。東京はまもなく春本番、といったところだろう。

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…しかし自分が目指すのは東京の遥か先にある北の果て。

桜前線に全力で逆らうこの旅は始発に乗るための3時間睡眠に始まり、予想外の混雑に加えてロングシートの宇都宮行きではついに一睡もできなかった。

もっとも野木、間々田と聞き覚えのない駅名が続く中でそういえば世間は通勤ラッシュか、とようやく思い至ったのだ。

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小金井で宇都宮どまりから黒磯行きに乗り換え、205系4両。小金井始発だが利用客は多く、宇都宮で乗り換えていたら着席も危なかったかもしれない。

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4両編成は氏家、蒲須坂、片岡と停車していく。この辺りに来ると聞いた事のある駅名の方が少なく、那須塩原に至るまででも随分遠くに来たなあと思う。

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黒磯に到着。

宇都宮線」の愛称はここで外れてただの東北本線になる。乗り換える新白河行きは5両ながらワンマン運転。しかも車両は常磐線、これがなかなかの違和感を生んでいる。

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新宿から3時間、ようやく空いたボックスシートに腰を落ち着ける。旅ってこういうこと。

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知らない駅名、知らない風景。そういえば小山以北に行くのは初めてだった。

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30分ほどで新白河

乗り換え先は郡山行き、雪がチラついている。

郡山行きはこれまで乗ってきたE531系よりは上等なシートで好印象。

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新白河から数駅でこの晴れよう。東北の天気は分かりづらい

この電車は晴れ間と暖房の相乗効果で異様に暖かく、数十分睡眠時間を取り返す。

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10時36分、郡山着。

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左が乗ってきた郡山行き、右がこれから乗る福島行き 仙台の電車はいい色をしてる

駅の規模に対して街の方はそれほどでもない様子。(後から福島出身のクラスメイトに聞いたところ福島より郡山のほうが栄えているらしい)

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サイン類が古風だったり広いヤードにキハがポツンと居たり、駅前の福島交通に交じって都営バスがいたりと面白い。

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11時5分の福島行きに乗車。雲行きが怪しい

殺風景な車窓、これまでに無いくらいのスピードに反して気分は曇る。

冬はもう行ってしまったなどと言ったそばから東北の寒さに震え、寝不足のせいで高揚感がない。自分はもう旅をすることに飽きてしまったのかもしれない、とさえ思った。

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12時前に福島。

福島での余裕をつくるため始発に乗ったと言っても過言でないが、いざ来てみると大してやることがない。

飯坂線も阿武隈急行もやって来ないので駅前を散策

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デパートの向かいには廃墟。

どうも街に元気がないようだったが、元気がなかったのは寝不足の自分のほうかもしれない

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地下道を抜けて新幹線側の出口へ。古風なバス

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磐梯山だろうか、連峰が見える。山が常に見える町は無条件に良い町。

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福島からは奥羽本線。13時前の米沢行きは旧式の719系、旅情はあるけど乗り心地が悪い

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笹木野庭坂と市街地が続き、庭坂を出ると車窓左手に山を望む。多分磐梯山。多分

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秘境駅、赤岩を通過。もう停車列車は1つもないらしいけどホームも駅名標も待合室もまだある。

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列車は板谷峠に挑む。山深くなるにつれて残っている雪が多くなり、この先の駅はおそらく雪よけのシェルターがつく。この山の冬の厳しさを垣間見た

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板谷、峠と停車。峠では「峠の力餅」を売るおばちゃんが居たが声がかかる様子はなかった。そもそもこの列車の後4時間列車はないのにこの人はその間何をしてるんだ

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福島から1時間で米沢。

奇抜な塗装の新幹線と短い普通列車が並ぶのはなんというかシュール

珍しくここでは目的があって、米沢といえば米沢牛

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出発の直前に見つけた立ち食いそば屋で牛丼をいただく、山形県いいなあという気持ち。

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米沢駅

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米沢発山形行きは米沢まで乗ってきた編成がそのまま充てられていた。発車待ちの間に再び雪が降り始めた

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Newdaysで調達した食後のなんたらと、twitterで一時期話題になっていた謎のタワーマンション山形県いいなあという気持ち

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数十分で山形、左沢線が居た。

これ4両なんですよ?長編成で乏しい交換設備による本数の少なさをカバーしているよう

 

ここでの乗り換え時間は少なく、しかも次の新庄行きは混んでいる。

2両編成のロングシートが埋まるほどの乗客で、これはもはやただの通勤列車

というわけで寝たり起きたりを繰り返し1時間ほどで新庄に到着。

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ここで緑と赤の仙台車とはお別れ。

新庄といえば山形新幹線の終点、本当に遠くに来た

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モダンな駅舎。なんかの施設と一緒になってるのは地方の主要駅ではよくあるようで、ここもその例に漏れず。

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駅前に残雪あり。

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今日11本目の列車は新庄発秋田行きのロングラン。これに2時間40分揺られる

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泉田、羽前豊里真室川と人気のない村をひとつひとつ経由していく。真室川で新庄の市街地は終わり列車は山間部へ

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18時を回って釜淵で交換待ち、知ってる駅名がひとつも出てこない。

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車窓から青以外の色が消えていく。まさにブルーモーメントといったところで森林は黒に、田畑の残雪だけが明るい色を残している

ときどき通過する民家からも明かりは見えず、気づけば青すら消えていた。

列車は山形県を後にして秋田県へ。

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後三年で交換。かっこいい名前

秋田に20時12分、眠くて頭が回らない。

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男鹿線。これらも蓄電池やらなんやらで近く淘汰されるらしい。旅情を掻き立てる列車がどんどん少なくなるのは悲しい限り

乗り換え時間15分で大館行きに乗り換え。予想以上の混雑、男鹿線撮ってたので座れなかった

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八郎潟を通過し東能代に21時27分、五能線に乗り換え。

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21時30分発、五能線能代行き。キハ40はどの色でもカッコいい

能代行きは1駅だけの区間列車だが自分以外にも数名乗車していた。

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夜汽車。エンジンの唸りだけが聞こえるf:id:irecords:20200325150427j:image
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21時35分、1日目の終点能代駅に到着。

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ホテルまでの道が暗い。地方都市…

 

 

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今この文を書いているのは五能線驫木駅。

2日目は五能線を巡っていく。