果ての旅路 Ⅱ

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朝5時、能代

昨夜と変わらず誰もいない、この街が眠った後に着いて起き出す前に去ることになった。

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人がいなくても列車はやってくる。

能代5時23分発、下り岩館行き始発列車。

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案の定車内に乗客の姿はなく、自分一人を乗せて三両編成は能代を出発する。

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川を渡って向能代北能代と停車していく。川の反対側を指して「向」という字を付けているのは東武の大谷向と同じか。

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路地の向こうに朝が見える。

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朝焼けが見えるのと反対側の車窓。風力発電はなんというか、本当に何も無い場所に整然と並んでいるのが非現実的で面白い。

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遠くに山が見えてきた。白神山地だろうか

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夜が明けてくる。海に迫り出していく車窓は感動もので、久しぶりに鳥肌が立った

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40分ほどで岩館に到着。予想はしていたが何もない

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色々と。草臥れた気動車、サボも味がある

6時17分の弘前行きは二両編成。これに一時間半揺られることになる。

発車まで乗客は現れず、汽笛一声。

自分一人を乗せて古びた気動車は岩館駅を定発した。

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ようやく青空が見えた。明け方の日本海を遠目に、時にはすぐ脇に見ながら海岸線を北上していく。

エンジンの直上の席に座ったようでガラガラと動くエンジンの揺れと、それが切られた時の静けさとの差が激しい。

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撮れそうなところでは駅名標を撮った。

このあたりの記憶がないので多分寝たり起きたりだったと思う。煩いはずのエンジンの音と厄介なはずの縦揺れも、眠気の前ではもはや睡眠薬だった。

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黙々と進んでいく。

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やがて鉄路は海に最接近。

視覚は線路を直接殴るような波、聴覚はアイドリング音に支配される。駅間が長いのでアナウンスもない。

美しい車窓に思わず声を上げても、それを聞く他の客は居ない。

早朝のローカル線はひたすらに美しく、ひたすらに自由だった。

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7時半過ぎに十数駅目、風合瀬という駅に降り立つ。

幻のようなローカル線の時間は、惜しくも夜明けと共に終わってしまった。

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列車を見送る。

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このロケーションにこの風情ある駅名、降りない手はない
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海岸は荒涼としていて、使われなくなって久しいだろう小屋が並ぶ様はまさに「果て」を思わせた。

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すぐ後ろに民家があるため構内は比較的狭く、その民家を除けばホームから繋がる道にも廃屋が目立つ。

なるほど、気に入った。そもそも名前が良い。

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30分ほどの滞在。ここで待っても昼まで列車は来ないので、近くの国道まで出てバスを待つ。

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駅から国道を北に歩いた場所、バスの待ち時間で少し撮り歩く。

車通りは多いが人は全くいない。荒れ果てた海辺の情景は、僕を青森県の虜にさせるのには既に十分だった。

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頼りないバス停。ここからバスに乗車する。

乗る時間の10分ほど前に回送車が見えて、もう行ってしまったのかとそれはそれは焦った。なにせこのまま風合瀬駅に戻れば、さっきも言った通り昼まで列車は来ない。

 

まあ…それもいいかもしれないが。

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列車と同じくバスもよく揺れる。そして速い。

集落を経由していくようで道は山がちだった。

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バスは再び海岸に飛び出し、千畳敷で僕を降ろすと鯵ヶ沢へ向けて走り去った。

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奇岩に用があるわけではなく、風合瀬を通過する快速に乗るためだけに来た。

千畳敷駅は駅のすぐ後ろに山、道路を挟んですぐ海という場所に位置していた。これぞ五能線

千畳敷9時前の下り快速。先程通り過ぎた深浦まで戻る。

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川部を7時発という時刻もあってか、この快速には僕と同じような旅人が多かった。

僕がカメラを車窓に向けると、向こうの席でもカメラを向けている人がいる。

仲間がいるようで少し心強い。

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深浦に9時19分、普通弘前行きと交換。

旅人たちを乗せた快速は東能代まで向かうが僕は深浦で下車する。

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深浦

 

ここで3時間を潰すが特にやることは無い…ので駅前をふらつくことにする。

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日本海のすぐ脇、線路と海の間に細長い住宅地があった。

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深浦で昼食、とまでは決めていたが店を決めている訳もなく、見つけたコンビニのイートインで済ませる。ここからも海が見えた。

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本当にやることがない。

近くの観光地らしい場所へ

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大岩海岸、というらしい。

多分一番奥の一番大きな岩が大岩なのだろう、分かる

海風に耐えかねて駅へ戻るも時刻は10時。

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深浦の駅舎。宿直施設らしきものがある。

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駅舎から出るとすぐこの光景が目に入る。

大岩海岸でも思ったが日本海は青色が深い。
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深浦町役場はもう少し南のようだった。

これから乗るバスの始発駅まで行ってもよかったが、冷たい海風に吹かれているとそんな気は失せていく。

結局バスが来るまでストーブが効いた駅舎に居た。

暖を取れるというのがいかに重要かわかる。

 

バスを待っていると地元のお婆さんに話しかけられた。

最初は津軽弁だったが、こちらが口ごもるのを見てどこまで行くんだ、と言い直した。

広戸まで、と答えた。

単にバスで向かう先を答えただけだが、まるで自分がこの地の人間になったような気がして心地いい。

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12時のバスで深浦を離れる。風合瀬から乗ったのと同じ車両、同じ運転手の方だった

 

バスの車内では地元の人々が話していたが、今度は全く聴き取れなかった。

これは誇張でもなんでもなく、知っている単語のひとつも出てこないのだ。遠くに来たなあ、というより話しかけられたらどうしようという気持ちでバスに揺られた。

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広戸駅前に到着。

列車で言うと1駅、バスでも十数分だった。

 

今年の1月。長崎という街を"これまでで一番"というくらいに気に入った僕の被写体、というか写欲は70mmというなけなしの標準レンズでも撮れる「路面電車」に傾倒していた。

数ヶ月前まで本業は撮り鉄だったはずだが、九州で望遠レンズを壊して以来全く撮ることがなく3ヶ月。

ついに今回普通の列車を撮る機会が来た。

…というのも折角五能線まで来たから形だけでも編成写真を撮りたい、というのが本音ではあるが。

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広戸から線路沿いを歩く。波やら風やらから列車を守るシェードが物々しい

目星をつけていた撮影地は橋の閉鎖で辿り着けず、そんなことある?という感じ。

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そうこうしているうちに貴重な列車がやってきて、なるほどこんなものだな…と自分に言い聞かせて駅まで戻った。

これから撮る時は準備は入念にしておこう、というのともう受験だし丸一年撮る機会はないな、というのを同時に思う。

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後追い、こちらの方が良い

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広戸に戻ってきた。

上りの冗談みたいな本数に物置のような待合室。

ホームに上がれば海…なら完璧だが、海ではなく防護柵があるのは残念。

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ほどなく防護柵の向こうから弘前行きがやって来る。

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あまりにも海が近くて同じような構図の写真を何枚も撮ってしまう。

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受験が終わったらマウントを変えようと思っているので、この赤いカメラが主役の旅も今回が最後になる。

せめてもの思い出にと、このカメラ自体の写真も撮っていくことにした。

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13時を過ぎた頃、この路線の代名詞ともいえる駅に到着した。

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驫木

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秘境駅としてこの駅の名を良く聞くだけあり、海の迫力が物凄い。

風合瀬にあった防風林すらなく、列車を降りた瞬間から横殴りの風に煽られる。

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列車の乗車位置を示す看板、広い広い海を背に頼りなくゆらゆらと揺れていた。

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駅ノートは丁寧にいろいろと纏められていた。

見てみると十数冊あり、その多さに人気の度合いを垣間見る。

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木の温もりと、窓から見える濃紺の海。

深浦のコンビニで買った菓子パンも相当に美味しく感じた。


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もちろんやる事などないのだが、木の香りと広い待合室が心地よい。

 

ときどき扉を開けてホームに出る。

海の轟く音がひたすらに響き、しばし圧倒される。

しかし遮るものが全くない風は容赦なく吹きつけ、たまらず待合室に舞い戻る。

これを数回繰り返していた。

夏なら本当に何時間でも居れそうだった。

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1時間ほど経って深浦方面の列車がやって来た。

乗降はゼロ、最後まで待合室を独り占めできそうだ。

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日が傾いてきた。

列車で訪れる人はいなかったが、車でやってくる人はこの2時間の滞在でも数人見かけた。やはり人気のようだ。

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眩しく輝く海は轟音を響かせ、海風も変わらず冷たい。

駅舎の張り紙によると「驫木」の名の由来はこの波の音に三頭の馬も驚いた、ということらしい。

波の音が発端というのはなんとも風流だし、現にここの旅人の耳にも強く残っている 。

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15時の列車で驫木を後にする。

惜しいがまた来よう。今度は夕焼けをここで迎えられたら尚良いだろう。

再びこの駅に降り立つ頃にはこの旅情溢れる汽車は居ないかもしれない。

 

それでも僕はこの駅に、この駅だけの価値を見いだした。

つまりはまた来たいと思った。車両が変わってもこの駅はきっと変わらない、これまでこの駅を訪れた旅人たちも同じことを考えただろうか。

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再訪を木造駅舎に固く誓って、海辺の秘境駅を後にした。

 

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ドアの窓から波の輝くのが見える。

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鯵ヶ沢のあたりで海と別れ、代わりに「津軽富士」とも呼ばれる岩木山を望む。

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「富士」を冠するだけあってその山容は偉大。

岩木山バックの撮影地も多いらしい。

機会があればまた来たいが、やはりこの草臥れた汽車はその頃には運用を退いているだろう。

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などと言っていると五所川原では何やら骨董品レベルだろう車両がゴロゴロ転がっている。

津軽鉄道

「最北のローカル私鉄」というのには惹かれるものがあったが、今回は五能線がメインということで断念。

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津軽鉄道には乗らなくとも五所川原で下車してみる。

ここで早めの夕飯といこうかと思っていたのだが、めぼしい飲食店が無い。

定食屋はあるようだが見知らぬ土地の定食屋というのはどうしてもハードルが高かった。

…そもそも知らない土地の定食屋に入れないような奴が海外旅行できるのか、という話になるので次からは積極的に入ろう。次からは。

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五所川原駅のロータリー。

バスターミナルは傷みが激しく、その脇のビルは看板の字が抜け落ちている。廃業したのだろうか

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津軽鉄道五所川原駅。改札の向こうにはは発車していく五能線、この辺りは本数が多い。

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津軽鉄道は「ストーブ列車」なるものを運行しており、なかなか興味深い。このストーブ列車は夏にも企画運行があるようで、誰が乗るんだという話だがどういうわけか人気らしい。

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津軽鉄道普通列車が駅の裏手から見えた。また来ようまた来よう。

列車に「走れメロス号」の名がつくように、五所川原太宰治の出身地らしい。

そういえば電子辞書に彼の「津軽」という題の小説が載っていたような、なかったような。

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かの文豪の故郷。その夕暮れ。

気候だけでなく、どこか寒々しいこの町で感傷に浸る。

ここに到着する時に見えた古い気動車は、もう使われていないようだった。

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鯵ヶ沢で海から逸れ、五所川原以東は一転し弘前に向かって南下していく五能線

鯵ヶ沢から弘前は生活路線の色が強く、区間列車が設定されており本数も利用者も多い。

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夕日が眩しい。

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暮れ方の車窓、岩木山。心の中で津軽富士、津軽富士だ…と連呼しながら見惚れていた。

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太陽はいよいよクライマックス。

鯵ヶ沢湾に沈む夕日が赤赤と水平線を染め上げる。心の底から美しいと思った。

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列車を見送る。

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さて、鯵ヶ沢に戻ってきた。

今回は夕方の車窓を見たかったのでいい時間にあった下り列車に乗った訳だが、帰りは鯵ヶ沢始発に乗るので安直に鯵ヶ沢まで来てみた。

が、当然やることが無い。

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適当にふらつきてローソンでからあげクンを買い、駅に戻る。

これでは日常と変わらないが、見つけた揚げ物の店も閉まっていては仕方がない。

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三角屋根の駅舎。岩木山の冠雪が覗く。
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駅の特産品コーナーらしいが鯨やらヒラメやらイトウやら。何ヶ沢だここ

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鯵ヶ沢始発の弘前行き。

五能線に乗るのはこれで最後となる。

鯵ヶ沢からの客は僕一人だった。そういえば今朝岩館から乗ったのも1両を2つ繋げた組成だったか。

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終始乗客は少なく、五所川原の街を再び見ることなく眠りに落ちてしまった。

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川部で下車。20時を回っていた。

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五能線はここが終点。朝5時に能代を出発し、寄り道しながら147kmの道程をゆっくりと来たわけだ。

乗った列車は全て愛すべきボロキハとでも言うべきキハ40、波打ち際の車窓が既に懐かしく思える。

 

この列車は奥羽本線に乗り入れて弘前まで向かう。弘前まで行きたかったが、これから乗る弘前始発の青森行きは弘前から川部の間でこの列車と行き違いになってしまうようだ。f:id:irecords:20200411021850j:image
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乗ってきた列車は何を待つでもなく数分停車し、弘前に向かって去っていった。

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対向の鯵ヶ沢行き。

五能線のキハ40を撮影する最後の機会だと思い、川部でかなりの枚数を撮った。

 

川部から青森へは約30分。

21時も過ぎた頃、乗り疲れた普通列車の車窓から見えた駅名標には「青森」の二文字。

電撃のような感情が走った。

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21時15分、ついに青森に到達。

昨日の始発で地元を出発し、寄り道に次ぐ寄り道。それでも新幹線、特急に乗らずここまで辿り着いたのだ。

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達成感とでも言うべきか、感動に包まれたまま通路に上がるとこの駅を跨ぐ大きな橋が見渡せた。

かつて急行「はまなす」の始発駅だったこのターミナルは、この長い長い往路の終着駅に相応しい旅情を備えていた。

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外に出ると想像以上に栄えていた。

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宿のテレビで青森市のローカル放送を流す。市バスの時刻が春ダイヤになるとか、どこの小学校の吹奏楽だとか。

完全にどうでもいい情報で疎外感を味わえるのが気に入った僕は、それを流しながらカップ焼きそばを啜った。

「旅が楽しい」と思うのは案外こういう時だったりする。