果ての旅路 Ⅲ
ここは本州の最北、青森県。
…そして朝5時半。
いつまで早起きを続けなければならないんだ…などと思うが、この行程を組んだのは他でもない自分だから何も言えない。
駅までの道を歩いていると右手に大きな三角形が現れる。たしかアスパムという名前の物産館で、青森県で最も高い建物らしい。
当然ながら県庁所在地には高層ビルがあるのが普通という訳ではないが、山形で見た田園風景に忽然と現れる高層マンションはどう説明がつけられようか…
片手間にスマホで撮ったものばかりで恐縮だが抜け道のようなスナック街。朝なのでもちろん人はいないものの、地方都市はこういった風情のある通りに突然出くわすから面白い。
さて、青森駅。
連絡通路の窓サッシが朝日を受けて輝いていた。
なぜこんな早朝から駅に来るか、それはもちろん始発列車に乗るためである。
これで三日連続で始発列車に乗ることになる、例によって本数が少ないので致し方ない。
女性車掌の明朗な声が頼もしい。「蓬田」でヨモギタは読めない
終点の一つ手前、瀬辺地を過ぎると海を望む。
瀬辺地、蟹田といえばかつての夜行急行「はまなす」の撮影地として有名だったようで、「瀬辺地」という耳慣れない響きの地名に遥か彼方の地というイメージを持っていた。
辺地・ヘジというのはアイヌ語由来のようで、他にも同じ青森県で野辺地という地名が思い浮かぶが他の県にもあるのだろうか。
要はその遥か彼方まで自分は到達したのだ。
感慨に耽っていると、車掌が終点・蟹田の名を告げた。といっても今回の津軽線はここからが本番となる。
蟹田。再び登場、旧式キハの2両編成に乗り換え
乗ってきた電車と対照的なくすんだ色味、掠れた行先のプレートが旅情を誘う。
どこに座ろうか車内を見回すと、数少ない乗客の年齢層はやはり高め。
しかし地元の方と思しき方々に混じり小旅行といった雰囲気の若い女性が乗っていた。
この列車に乗るためには僕がそうだったように、青森駅6時の電車に乗らなければならないのだが…見かけに反して上級者かもしれない。
向かって左側、車両中央あたりの席に腰を落ち着ける。列車は青森市の北、更に北へ走り始めた。
発車して早々、車窓からは鬱蒼と茂る木々しか見えなくなる。時折木々の間から覗く残雪が目に染みた。
電波も途切れ途切れで、何をするでもなくボーッとよく揺れる列車で進んでいく。つい昨日同じようなことを同じような列車でしたような気がするが。
やがてエンジンが切れて静かになると、列車は警笛と共に長いトンネルに突入した。
トンネルを抜けたら開けるかと思いきや、鉄路は依然として高い高い木に囲まれている。しばらくすると向かって右側に道路が現れ、北海道新幹線の堂々たる高架線が見えてくる。
津軽二股という駅で新幹線に乗り継げるようだが当然乗降はゼロ。
この最果ての列車に揺られるのは僕のような酔狂な旅人、はたまた一日に五本しかない列車で諸用に向かう地元の人々。
どちらもこの駅から新幹線に乗る機会は無いだろう、少なくとも前者に関しては確実に。
津軽浜名という風流な名の駅を過ぎると次は終点の三厩。再び海を拝むことができた。
終着駅、三厩。
列車がやってきた方を振り返ると鉄路の両脇には枯れ草ばかりの平原、進行方向には冠雪した山々が行く手を阻むかのごとく聳えている。
思い描いていた通りの「末端」の光景に胸が高鳴った。
津軽半島の先端を走る頼りない列車、その目的地であるこの駅。
乗客を下ろした二両編成は荒涼とした風景の中で折り返しを待っている。
駅舎内。
薄暗いが座布団に温もりを感じる。こうした無人駅でベンチの上に座布団を敷いているのをよく目にしたが、やはり冷え込む冬への対応なのだろうか。
駅前に出て線路の終点側を見る。
津軽半島の最北端・竜飛崎と日本海側に抜けていく道路が続いていた。
駅舎からまっすぐ伸びる道は海のほうまで。
駅前の建造物はほとんどが廃墟で、駅のホームのほうを振り返ると薮が生い茂っていた。
駅前広場をうろついていると、車内で見かけた女性に声をかけられた。
女性は日本海側から北上してきたそうで、端っこに行ってみたいという僕と同じような理由でこの津軽の端の駅に辿り着いたらしい。女性もやはり旅人だった。
やはり「果て」には旅行者を引きつける何かがある…
その末端の地で旅人同士が出会う、なかなか素敵な構図ではないかと思う。共に行動するわけでもなく少しの立ち話で。
いまは旅をする中で、それくらいの距離感が心地良い。
人通りはほとんど無い。上の写真にはお婆さんが写っているが、駅前のこの道路を通っていたのはその人くらいで車の往来すらもなかった。
本数は当然少ない。
数年前までは有人駅だったようで、せっかくならその頃に来てみたかったがおそらく中学生だ。
終点の空気、まさにその理想を味わって青森に戻る。
発車のベルは無い。それはあっても仕方がないからで、それはきっと良いことだ。
そういえばこの形式に乗るのも最後かな、と思うと車内の写真も撮りたくなる。もっとも五能線で十数枚は撮ったがおそらくこれで本当に最後。
蟹田でお別れ。楽しい時間をありがとう
青森駅に戻ったのは10時。
旅先の地方都市から秘境へ小旅行し、地方都市に戻ってきてもそこはまだ旅先なのだ。この幸福感。
塗装が気に入ったのでバスを少し撮影。
AやらKやらSやら系統番号に付いているが、どうもこの後再編されたらしい。
この後乗車するのは12時過ぎの八戸行きなのだが、予定は昼食くらいしかないので青森港のほうへ歩いてみる。
港に停泊していたのはかつての青函連絡船、八甲田丸。現在は博物館になっているので停泊というのは間違いかもしれない
暇潰しに入館。
寒い寒いと連呼する人形。当時船に載っていたというグリーン席。上野までウン百円だとかいう運賃表。そもそも僕以外に居ない来館者。
展望広場はこの通り、悲しい
かつてこの船で函館へ渡った車両やらボイラーやらを見つつ順路は終わった。
特に躊躇する値段でもないのでまた暇があれば、という感じ。
昼飯…青森の名物ってなんだっけ…と考えるのも面倒だった。
名産品自体に興味はあるのだが大体いつもコンビニ、牛丼で済ませている気がする。
そういえば五所川原でもその前の長崎でも同じことを思っていたが、これらはただのコンビニ飯ではなく青森のコンビニ飯であり長崎のすき家なのだ。
妥協が一番。旅先で食事するのに無理をする必要などない、自分が求める旅はもっと違うところにあるはずだ……と自分に言い聞かせて駅前の吉野家に入った。
青森駅の跨線橋から。大きな橋と長いホームの光景がいかにも青森駅らしく気に入った。
青い森鉄道、野辺地まで約40分。
写真は撮れなかったが途中浅虫温泉の町はなかなか栄えていた。青い森鉄道の秘境駅に降りつつ行くのも考えたが時間の都合でボツ。
野辺地駅。向かい側の1両はこれから向かう大湊線からの快速で、"しもきた"の列車名がある。
いよいよ下北半島の付け根の部分、野辺地にやって来たのだ。
日本最古の鉄道防雪林、らしい。
防風林ではなく防雪林…調べると吹雪対策と出た。地理はよく分からないが、吹雪の対策に森林を立てるほど厳しい地方なのだろう。
12時57分発の大湊行きは野辺地まで快速として走ってきた2両編成。この列車でついにこの旅の主目的、下北半島に足を踏み入れる。
のだが、本来目指すはずだった佐井の集落までは行かずに途中の大間までとした。
これは時間の都合もあるが、例の下北交通の「むつバスターミナル」がなかなか風情があるらしく折角なら行ってみようという考えに至り、しかもその建物は先が長くなさそうなのでそちらに時間を多く使いたい…という訳だ。
車内は予想に反して賑わっていて、高校生の姿も多くみられた。
吹越。このあたりから東へ向かうと六ヶ所村に当たる。
青森県のどこかに核燃料の再処理場が存在するとは聞いていたが、それが下北半島にあると知ったのはここに来て地図を見てからだった。
土地が余っているから。そんな単純な理由で片付けられるわけがないが、その村に施設が出来るまでの紆余曲折、住民の思いを僕は知らない。
昔誰かが「旅人というのは残酷」だとか言っていたのを思い出した。
この土地の現在や過去を知る義務は僕にはなく、海岸線を掠める列車は足早に北上していく。
大量の風力発電が寒々しい海岸に向かって立っていた。
その村に原発があるのも知った。
土地が余っているから。いや…
今僕が旅するこの土地は決して明るくない、生々しい側面も持っている。
それに不思議と惹かれた。
やはり僕は所詮、この半島においても身勝手で残酷な旅人でしかなかった。
陸奥横浜という駅で高校生が多く降りた。そういえば僕が東京生まれでなかったらまた違うことを考えたかもしれない、と見覚えのある地名を見て思った。
大湊駅、終点。
ここからJRバスでむつバスターミナルの近くまで向かっていく。本来は手前の下北駅からバスに乗り換える予定だったので、大湊線の乗り潰しで良しとする。
有人駅で綺麗な駅舎、素晴らしい。
駅舎の壁にはちょっとしたアート。
駅前より
JRバス田名部行き。列車と時間が合っているわけではないのでここからの乗客は僕だけだった。
終点の田名部には"駅"とつく。かつて下北交通が運行していた鉄道路線にもこのあたりに田名部駅を置いていたらしいが、それとこれと関係があるのかはよく分からず。
バスの背後にある駅舎というべきか待合室というべきか建物の中は薄暗く、テーブルやら職員の詰所やらがあった。これもよく分からず。
田名部駅からバスがやって来た方に戻りつつ撮り歩く。松木屋は地方デパートといった出で立ちだが営業しているのは1階のスーパーだけのようだった。
人通りのない道に錆びついた建物。このような切り取り方しかできないのが情けないが、東京でも同じような所を狙って撮っているから仕方ない。
これまで訪れたのは地方都市といえど県庁所在地ばかりで、このような遠方の都市に滞在するのは思い返せば初めてだった。
寂れたメインストリートの廃墟、シャッターすらも錆び付いた看板建築とビジネスホテル。この下北半島の玄関口にとって当たり前の光景。僕はいつからか寂れた情景を好むようになっている。
今度はこの街で一泊しよう…
まだ見ぬ半島北部への期待とともに、例のバスターミナルへ足を向けた。
その佇まいに思わず声が漏れた。
むつバスターミナル、下北交通の拠点となっている。
大きな立方体を少ない柱で支えているようなその外観。
無機質な存在感は、上層階の朽ち方も相まって少し触れたら崩れそうな頼りなさを備えていた。
プラットホームにミニバスが停車していた。行先は数時間前に出発した野辺地…
野辺地→むつをバス移動も考えていたのだが、これは列車で来て正解だったと思う。
乗り場。暗い
待合室に入ると石油ストーブの香りと暖かさに包まれる。
これに懐かしさや安堵を感じるのはもはや日本人の本能とも言っても過言ではないだろう、この時点ですでに僕は感動の涙を流しかけていた。
ベンチに座るとギギギギと大袈裟に唸る。売店が営業していた時代を考えると少し惜しいが、このバスターミナルで過ごして記録を残せたのは素晴らしかった。
急でも予定を変えて正解だったのだ、やはりこのような旅において一人というのは大きい。
発車案内は窓口のおばさんによる肉声放送。
ただ今二番のりばに入りました車は17時10分発、尻労行きでございます…今でも言い回しとアナウンスが蘇る。
時刻表。数字ではなく漢数字
こればかりは文章より写真が良い
16時10分発、大畑駅行き四題
この大畑駅もかつての鉄道線の駅名。
僕は確かに、陸奥の国のさらに奥、正しく最果てのバスターミナルに居る。
こんなところまで来てしまった。
この建物と周辺、この半島は僕の中の「こんなところ」を体現していた。あの日、長崎の街で夢見た最果ての場所。
三厩駅にむつバスターミナル、両者を1日で巡った僕は、大変な満足感に浸りながら待合室を歩き回ってはシャッターを切っていた。
乗車する佐井行きの発車時間が近づく。
並ぶ同じ塗装のバス、その奥をすり抜ける外板の浮いたバス。どれも長い間この北国で使われ続けてきたが故に錆ついている。
奥の留置場からバスが何台も出てきてプラットホームに並ぶ。本州最北端のバスターミナルはささやかなラッシュアワーを迎えたようだ。
尻を労うと書いてシツカリと読むらしいが、これはアイヌ語由来だろうか…因みに経由地にある「袰部」はホロべ。読めない
おばさんの放送がいよいよ佐井行きの到着を告げる。
4番のりばの車、17時10分発、佐井行き。
先発はあちら、下北半島の北東端尻屋行き。
尻屋行きの後を追って佐井行きは本州最北端に向けてむつバスターミナルを後にする。
もしこの素晴らしきターミナルがこの先残っていれば、雪が降る時期にまた。
バスはむつ市の住宅地をまっすぐ北上して海辺に出ていく。
見ての通りよく揺れる
バスは30分ほど走り、途中大畑駅で5分停車。
前述の通りここはかつて下北交通が運行していた鉄道路線「大畑線」の終点であった。写真には写っていないが車庫が併設されており、現在でもかつて走っていた車両が動態保存されているらしい。
写真の建物はかつての駅舎。現在は待合室と出張所になっているようだった。
行き先表示はシンプルに「佐 井」の二文字。2つあるドアのうち後ろのものは使用していなかった。
海岸沿いを黙々と走り、たまに峠を登ってまた海辺に戻る。自動放送は当然聞いたことない地名を喋り続けている。
車窓に飽きた頃、大畑からさらに30分走ったところで日は完全に暮れた。
バスは下風呂温泉郷を抜けていく。
有名な温泉地のようだが温泉にはさほど興味がないので今回はスルー。
しかし車で長らく走り続けて到達した、津軽海峡を望む温泉地ーーというのはなるほど良い感じに聞こえる。
いつか温泉最高!とでも言える歳になったら再訪しようと思った。
外は何も見えないので地図を見る。遥か彼方の東京……本州最北端の地は眼前に迫っている。
大間崎。もちろん真っ暗だが此処こそが本州最北端の地で間違いない…はず
大間町に入ったバスは町内の要所を巡っていく。今夜の宿の最寄りももう近い。
バスを見送る。
民宿…ではなくビジネスホテル。サンホテル大間は大間町唯一のそれで、WiFi完備で素晴らしい。
大間名物といえばもちろんマグロ。
このホテルのレストランで頂こうと思っていたのだが、ラストオーダーの時間を過ぎていたのであえなく断念。この無念は函館で晴らす……
そう、函館はすぐそこにあるのだ。
数ヶ月前に修学旅行で訪れた街にこうして秘境の地を巡った後で向かうのは不思議な気分だが、とにかく明朝のフェリーで30分も行けばそこは北海道である。
友達に現在地を連絡して失笑を買い、珍しく早く眠りについた。
明朝6時。
大間の朝はやはり冷えている。
本州最北の漁村、その早朝をカメラに収めつつフェリー埠頭へ急ぐ。
道路標識は到達を諦めた佐井の文字もあった。いつか、また。
予想以上だった。
下北半島に流れる北国の冷たい風、こんなところまで来てしまったという達成感と背徳感、重くのしかかる廃れた情景の寂寥………
この半島こそが、僕の求めていたもので間違いない。
確信した。
それでもまだこの半島の西部を知らないし、ひときわ朽ちたバスが向かう尻屋崎にも行っていない。あのバスターミナルもまだ撮り足りない。今度来た時は、と無意識のうちに繰り返していた。
僕はまたここに来るんだろうな……
フェリーの汽笛を聴き、遠ざかっていく大間の街並みを眺めながらそう思った。