アザレア行き夜行船

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愛媛県松山から数十分。降り立った高浜という駅は郊外電車の終点で、なかなか風情のある佇まいだった。

しかし慌ただしく小さいバスに乗り換え、フェリーターミナルへ向かう。

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手続きを済ませ、空港のような通路を歩くと見えてくる「松山 - 小倉」のプレートを掲げた船。

その古ぼけたフェリーが、2020年1月3日の僕の宿だった。

 

2019年、大晦日の夜に夜行列車で東京を発ち、香川で初日の出を迎えた僕は人生初の四国は高松に降り立つ。三が日をことでんに揺られてうどんを啜りながら過ごし、特急しおかぜ号で松山に至った。

四国から九州へ向かうルートはいくつかあるが、僕は「松山小倉フェリー」という明快なネーミングの会社を見つけるとそれに決めた。八幡浜や別府などの航路を知ったのは3年のときで、つまり当時は夜に四国を出て朝に九州に着くのならどれでも良かったのだ。

夜に出て朝に着く、そのような列車がほとんど淘汰された今、夜行フェリーは往年の夜行急行や特急と似た性格を持っているように思える。豪華なシングルルームから廉価な二等座席、甲板から望む朝日は、かつての風情ある夜行列車に乗り遅れた学生の(少なくとも僕にとっては)希望だと今では感じる。

 

初めて乗る大型フェリーの、僕に割り当てられた区画は想像していたような大広間ではなかった。10名ほどが1グループとして船室1つを割り当てられる方式に戸惑いつつ、そして勢いで買ってしまったチョコ菓子を持て余しつつとりあえず寝床を整えた。

トイレと洗面台は大きな共用のものがあり、そこで小学生の集団を見かける。小学生のころ山やら海やらへ移動教室に行ったのを思い出す。フェリーの洗面所は、まさに移動教室の宿舎にある大きなそれに似た空気を感じさせた。迷路のような船内を船室へ戻り、眠りにつく。暗闇のなかエンジンか何かの音が響いていたが揺れは少ない。

遠方の夜行フェリー、船室の片隅で眠る16歳の僕を大学生の今思い返すと、何も変わっていないじゃないかと誇らしくも、惨めにも思える。

 

長崎という街がある。長崎県長崎市。あるのは知っていてもその立地ゆえに特に理由がなければ通過することもない、その街は九州の端にあった。

 

昔話をしたい。

トーマという人物がいる。2013年に活動休止したボカロP。主に僕の悪い癖によって疎遠になった中学校時代の友人…に薦められた曲のひとつに「九龍レトロ」があった。歌い手の動画。すべてがそこから始まった。

僕はいくつかのCD(デコニーナとか)を探していて、渋谷のツタヤの奥の方にあるボカロの棚で「アザレアの心臓」というアルバムを見つけた。トーマのアルバムだった。九龍レトロ…ではなく九龍イドラと名前が変わっているその曲を目当てにそれを借りて、その後YouTubeで見た"潜水艦トロイメライ"で完全にノックアウトされた僕はそこから1年ほどかけてトーマが世に送り出したほとんどの曲を聴いた。そして高校生になって、アザレアの心臓を買った。

圧倒的だった。高校生までは好きなアーティストといえば親が聴いていたもので構成されていた僕にとって、初めて自費で買ったアルバム。中学生から高校生にかけて僕を完璧に支配したこの世界はいまの僕の趣味嗜好の出発点になった。ごちゃついた建築、香港、廃墟から鉄塔病室花瓶。幹というよりも根。僕はこれらを一生抱えているのかもしれない。

 

話が逸れた。

先述の通りトーマは2013年に活動休止(2019年に別名義・まったくの別人Gyosonとして活動を再開している)、僕がトーマを知ったのは2016年。つまり僕は現役のトーマを全く目撃しておらず、彼の世界の全貌を把握したかった僕はGoogleを駆け回りインタビューなどを読み漁った。そのなかにあった、彼の「長崎の風景にインスピレーションを受けた」という発言によって僕は長崎という街に関心を持つ。

調べてみると、長崎の坂と入江、迫る山々とそれにへばりつく家はトーマというきっかけを抜きにしても魅力的な景観だった。同じく興味があった香港にも似た異国情緒を期待できたこともあり、長崎行きを決めるのに時間はかからなかった。

ちょうど大阪への遠征を重ねていた頃。京阪神に飽きた僕は旅行映像作品に影響を受けつつ、四国から九州へ抜ける旅程を仕立てて彼の見た街へ向かうことにした。

 

1週間の(当時の僕にとって)長旅は刺激的で、僕はようやくして旅をすることに目覚めた。そして長崎のホテルで、今度は青森県に興味を持った。東京に帰ってから父親の勧めで深夜特急を読んだ。いつの間にかあのロシアの、シベリア鉄道の旅は僕の中で具体性を帯びていた。どこへでも行けるのだと思った。

 

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自分の旅行趣味の出発点を、この長崎という街にできたことを幸運に思う。

つぎに向かうは雪に鎖された北の大地。

旅という、趣味を超えかかっているなにかを抱えて生きていくことが正しいのか、雑草の根のようにまったく価値がないにも関わらず絡まってくる思考に蓋をして僕は寒いところへ行く、戦争があるんだって!